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April 19, 2012

日本のHDI(人間開発指数)は世界12位(2011年)―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』

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「幸せ」はGDPで測れない 幸福の経済学(ジャスティン・フォックス)
 GDPに代わる指標としては、1972年にブータン前国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱したGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)などがあるが(ブータンは、昨年の東日本大震災の際に、いち早く日本の復興支援を表明し、ジグミ・ケサル国王夫妻が日本を訪問したことでも話題になった)、本論文の著者によると、そもそもGDPには以下の3つの欠陥があるという。
(1)GDPはそれ自体欠陥のある指標である。
 ・GDPの算出にあたっては、価値を簡単に測定できる財とサービスの方が好まれ、価値を推定しなければならない経済活動は敬遠される。例えば、無償の家事労働などは経済的に重要だが、計算からは除外されている。また、医療の提供などの政府プログラムの価値は、実際より過小評価される。
 ・一方で、推定を嫌う傾向も首尾一貫したものではない。例えば住宅所有者が住宅を所有していなければ支払っていたであろう金額の推定値である「帰属地代」は、アメリカのGDPの約10%を占める。
 ・海外からの直接投資が多い開発途上国では、GNPよりGDPの方がはるかに早く成長したが、必ずしもその恩恵を被ったわけではない。投資収益のほとんどは多国籍企業の手に渡ったからである。

(2)持続可能性や持続性を考慮に入れていない。
 ・GDPは、天然資源をむしばむ経済活動(杉林の伐採など)、将来の浄化コストや病気の原因となる経済活動(汚染など)、あるいは、コスト計上されない災害の単なる復旧(救急車など)と、国富を増大させる経済活動とを区別できない。

(3)進歩と発展の測定には別の指標のほうが優れている場合がある。
 ・生活の中にある、価値ある事物の多くは、GDPによって完全にとらえることはできない。しかし、健康、教育、政治的自由などの指標によってこれらを測定することが可能となる。
 ・1989年にUNDP(国連開発計画)に参画したパキスタンの経済学者マブーブル・ハクは、パキスタンなどの貧しい国々にとって、GDPだけを基準に開発を迅速に推し進めることの難しさに長い間頭を抱えていた。そこで、経済発展の測定方法を改善するプロジェクトを企画し、大学時代の友人だったインドの経済学者アマルティア・センを始めとする数人の著名な経済学者に協力を依頼した。このプロジェクトは、平均余命と学歴のデータでGDPを補完することにした。また、これらの数値を組み合わせてシンプルな指標を作り、各国をランク付けできるようにした。これがHDI(人間開発指数)である。
 GDPに関する私の個人的な疑問も、この論文で結構すっきりした。グローバル化が進んで海外で働く日本人が増え、逆に国内市場に参入する外国企業も増えている現在、純粋に日本人の富を測定するならば、GDPではなくGNPの方が向いているのではないか?と思っていたのだけれども、この論文によると、「貿易と投資がグローバルで成長するにつれて、雇用や工業生産といった国内指標とGNPに食い違いが見られるようになった」ため、単純に国内生産を測定するGDPに移行したとのことである。

 確かに、海外の日系企業で日本人とアメリカ人が働いている場合、GNPを計算するにはその企業が生み出した付加価値を日本人とアメリカ人で分け合う必要があるが、その比率をどうするかは難しい問題である。単純に人数の構成比で案分するわけにもいかない。付加価値に対する貢献度合いで割り振ろうとしても、一企業の人事評価においてすら困難な作業なのに、それを世界レベルでやろうとすれば各国の統計局が悲鳴を上げるに違いない。

 そもそもGDPは富の「量」しか測定できないので、例えば消費者が企業から余計なモノやサービスを購入させられたり、政府が国債を刷りまくって公共部門に投資したりしても、GDP自体は増える。だが、これらは必ずしも「良質な」経済活動とは言えない。これまでの経済はもっぱら「富の増大」を目的としてきたため、目的の達成度合いを最も簡単に表現できるGDPが好まれてきたというのが実態なのであろう。とはいえ、これからは経済の「質」を測定する何らかの指標が開発され、定着化する可能性は十分に考えられる。

 しかし、それだけにとどまらず、経済とは社会を構成する複雑なシステムの一部にすぎないから、経済の目的の上位に立つ社会の目的というのも考える必要がある。しかも、経済の目的が「富の増大」に限らず、「質的な成長」を視野に入れつつあること以上に、社会の目的は多義的であり、下位目的が複雑な相互関係を織りなしている。その下位目標の1つが引用文の(3)にあるような「人間の開発と発展」であり、それを測定する指標としてHDIが提唱されている、というわけだ。社会の目的の達成度は、経済指標を含む様々な指標の組み合わせで示されることだろう。

 これは企業レベルの話で言えば、経済的な主体として利益や株主価値の最大化を目指していればよかった企業が、その社会性を強く問われるようになり、近い将来には先日の記事「持続可能な経営に最も必要なのは”顧客の意識改革”かも?―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』」で紹介した「VCI(バリューチェーン指数:企業が外部化したコスト=環境に転嫁したコストを定量化する指標)」のような新しい指標と合わせてその業績を評価されるようになるかもしれないことと共通している。

 ちなみに、論文でもランキングが紹介されていたが、2011年のHDIのランキングは1位:ノルウェー、2位:オーストラリア、3位:オランダ、4位:アメリカ、5位:ニュージーランド、6位:カナダ、7位:アイルランド、8位:リヒテンシュタイン、9位:ドイツ、10位:スウェーデン、11位:スイス、12位:日本となっており(※1)、日本はアジアでは1位である。

 このHDIは、(1)Health、(2)Education、(3)Living Standardsという3つの上位因子から構成される。そして、Healthは"Life expectancy at birth"(平均余命)、Educationは"Mean years of schooling"(25歳以上の成人が過去に受けた正規教育の年数)と"Expected years of schooling"(5歳の子どもが生涯のうちに受けられるであろう正規教育の年数)、Living Standardsは"Gross national income at purchasing power parity per capita"(購買力平価で計算した一人当たりGDP)という下位因子で測定される(※2)(※3)。

 なお、"HUMAN DEVELOPMENT REPORTS"のHPには、自分で指標を組み合わせてオリジナルのランキングを作れる"DIY HDI"というページがある。日本を1位にしようと思ったら、日本の平均余命が世界一であることを利用して、Healthの"Life expectancy at birth"だけにチェックを入れればよい。

 HDIを構成する3つの上位因子には、先ほど挙げた下位因子の他に、例えばHealthならば"Expenditure on health, public (% of GDP)"(GDPに占める社会福祉関連支出の割合)や"Under-five mortality rate"(5歳以下の子どもの死亡率)が用意されている。また、上位因子も、前述の3つ以外に"Inequality"(不平等)、"Poverty"(貧困度)などを追加することが可能となっており、これらの因子を取捨選択して、様々なランキングを作成することができる(ただし、"Poverty"など日本のデータが提供されていない因子もあるので注意)。


(※1)"Human Development Index (HDI) | HUMAN DEVELOPMENT REPORTS"より。
(※2)"Human Development Index (HDI) | HUMAN DEVELOPMENT REPORTS""Human Development Index | Wikipedia"
を参照。
(※3)2011年からHDIの測定方法が変更になったようである。「人間開発指数|Wikipedia」に記載されている算出方法は古い算出方法であり、誤りである。どなたかWikipediaの数式を編集できる方は、是非修正をお願いします。

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「笑顔は幸せの象徴」は比較的新しい 幸福の歴史(ピーター・N・スターンズ)
 西洋文化では幸福への執着が強いが、これは比較的現代になってからの傾向である。西洋の価値観を遡ってみると、18世紀までは、現在とは異なり多少悲観的な人生観が好ましいとされ、表情もそれに相応していた。ある厳格なプロテスタントが述べたように「喜びや快楽を享受することなく、いくぶん悲哀を装い、禁欲に身を置く」者に、神は手を差し伸べたのである。
 それまで(※20世紀初頭まで)、幼年期と幸福を一緒に考えることは一般的ではなかった。ただし、昔の子どもたちがあまり幸福ではなかったという意味ではない。子どもは幸せでなければならないというわけではなく、実際大人になって(幼児期の幸福感を)ありありと思い出すことは稀であり、親の責任はいっさい問われなかった。
 「人は幸せを感じると笑う」というのは、人間の生来的な性質ではなく、実は近代の文化の産物である、という論文。18世紀の啓蒙思想によって、宗教観が大きく転換したことが1つの契機であったという(学者の中には、18世紀に歯科技術が発達して虫歯の治療が容易になったために、口を開けて笑うことに抵抗を感じなくなった、と指摘する人もいるらしい)。また、つい100年近く前までは、親は子どもの幸福に責任を持たなくてよいと考えられていたのも意外な事実である。ただ、これは西洋文化における幸福の歴史であるから、この”東洋版”がどのようなものなのかは興味があるな。

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