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April 17, 2012

反証をぶつけて科学的研究の厳密さに迫るHBRのインタビュアーが秀逸―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』

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些細な出来事の積み重ねが幸福感を左右する 幸福の心理学(ダニエル・ギルバート)
 毎日、些細なことが十数回起こる人は、本当に驚くほど素晴らしいことが1回だけ起こる人よりも幸せである可能性が高いのです。ですから、楽な靴に履き替えたり、奥さんに派手なキスをしたり、フライドポテトを1本こっそりつまみ食いしたりしてみてください。些細なことのように聞こえますし、実際に些細なことです。しかし、その些細なことが大事なのです。

 (中略)我々は、1つか2つの大きな出来事が深い影響を与えると想像しがちですが、幸福は無数の小さな出来事の総和のようなのです。
 ハーバード大学心理学部のダニエル・ギルバート教授に対するHBR誌のエディターのインタビュー記事。「些細な出来事の積み重ねが幸福感を左右する」という点は、先日紹介した論文「幸せな気持ちになると、何事もうまくいく PQ:ポジティブ思考の知能指数」(ショーン・エイカー)と共通である。それよりもこの記事は、インタビュアーの質問の切り口が素晴らしいと感じた。そのいくつかを紹介したいと思う。

―その(幸福という)尺度自体が主観的なのではありませんか。あなたにとっての5点が、私には6点ということもありうるのではないでしょうか。
 この問いに対してギルバート教授は、例えば100人のうち半数の人をインフルエンザウイルスに感染させ、正確な体温を測定できない粗悪な体温計で体温を測らせると、ウイルスに感染した人々の平均体温は、ほぼ確実にそれ以外の人々の平均体温よりも高くなると答えた上で、次のように述べている。
 実際よりも高い温度や低い温度を表示する体温計であったとしても、十分な人数を測ることによって、不正確さは相殺されます。測定器具の精度が低くても、多くのグループを測定すれば、比較は可能なのです。
 インタビュアーの質問の意図もよく解るし、教授の例も解りやすいと思った。ただ、だからと言って、例えば各国の幸福度を比較する際に、単に「あなたは幸福ですか?」という質問だけを投げかけて、その平均スコアを国別に比較すればよいかというと、そういうわけにもいかないだろう。というのも、幸福の意味は多義的であるし、国や地域、文化、民族などによって何にウェイトを置いているかが異なるからである。

 だから、実際の研究では、幸福を構成する要素(例えば仕事、収入、家庭環境、コミュニティ、地域行政、教育・医療サービス水準など)を特定し、それぞれの要素を人生においてどの程度重視しているのか?そして、各要素について現在どの程度幸福感を抱いているのか?を尋ねることになるはずである。これはちょうど、社員満足度調査で、社員満足度を構成する要素を分解し(例えば仕事の難易度、理念やビジョンへの共感度合い、上司・同僚との関係、評価への納得感、給与水準、職場へのアクセス、福利厚生など)、それぞれの重要度と満足度を質問するのと同じである。

―ベートーベンやゴッホ、ヘミングウェイなどの不幸な天才芸術家のことを考えると、ある程度の不幸が刺激となって優れた業績が導かれたのではないでしょうか。
 ある論点を明らかにする際に、逸話を用いる場合と、科学を用いる場合の違いを考えるなら、後者の場合、都合のよい話を選ぶだけでは済まされないことです。事例をすべて検討するか、少なくとも、そこから妥当な標本を抽出して、「不幸ながらも独創的な人は、幸福で独創的な人よりも多いか」「悲惨で独創的でない人は、幸福で独創的でない人よりも多いか」を確認しなければなりません。

 もし不幸が独創性を促すとすれば、幸せな人々よりも、悲惨な状況にある人々の間で、独創的な人の比率が高くなるでしょう。しかし現実にはそうはなりません。概して、幸福な人のほうがより独創的で生産的なのです。
 例外的な事例をめぐる問答。確かに、統計的な処理をして「例外は例外」と片付けてしまうのは一理あるし、その方が簡単ではある。しかし、個人的には例外には着目すべき価値があると思っている。なぜならば、例外は「ブラック・スワン」であるかもしれず、新しい法則をもたらす可能性を秘めているからだ(以前の記事「人間の理性の限界を徹底的に茶化してるな−『ブラック・スワン』」を参照)。

―多くのマネジャーは、充足している社員はあまり生産的ではないので、自分の仕事に少し居心地の悪さ、おそらくは多少の不安感を与え続けたほうがよいと言うでしょう。
 直感に頼るスタイルのマネジャーではなく、データを集めるマネジャーならば、そうは言わないでしょう。私が知る限り、気をもみ、おびえている社員のほうが独創的かつ生産的であることを示すデータはありません。(中略)適度に挑戦しがいがある時、すなわち困難ではあるが、手が届かなくもない目標を達成しようとしている時に、人は最も幸福であることがわかっています。
 昨日の記事「「幸福感」と「モチベーション」の違いがよく解らない印象を受けた―『幸福の戦略(DHBR2012年5月号)』」のように、幸福感とモチベーションを区別して考える立場からすると、インタビュアーがこの質問をした気持ちは非常によく解る。ただ、回答では幸福感とモチベーションが区別されていないようなので、どこか引っかかる感じが否めない。

 「困難ではあるが、手が届かなくもない目標」が、「モチベーション」を高めるという研究があるのは知っている。例えば、「目標設定理論」がそうであるし、ジェームズ・コリンズも、ビジョナリー・カンパニーは「BHAG(Big Hairy Audacious Goal:大胆で野心的な目標)」によって社員を動機づけると指摘している。だが、それが果たして同時に幸福感にもつながるのかどうかは、個人的にはあまりよく解らないところだ。
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