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February 02, 2012

再現性の低い失敗の分析に意味はあるか?という問い―『日経情報ストラテジー(2012年3月号)』

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日経情報ストラテジー

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 (前回の続き)

(2)再現性の低い失敗を分析することに果たして意味はあるか?
 本号には、過去の失敗事例を組織的に分析・共有する仕組みを構築している事例がいくつか紹介されている(ノジマ、ライオン、キヤノン電子など)。詳細は割愛させていただくが、事例を読んでいく中で1点気になったのは、『失敗百選』シリーズの著者である東京大学・中尾政之教授のコラムにあった次の記述である。
 「失敗を生かす」というテーマですぐに思いつくのは、再発防止策を作ることだろう。このような意味でとらえた場合、失敗を生かしやすいのは過去の失敗事例から引き出せる教訓の”賞味期限”が長い会社だ。鉄道などの公共インフラ系の企業が当てはあまる。こうした企業は「人のふり見て我がふり直せ」の要領で失敗事例を研究することで、悪い失敗の再発を防止できる。

 一方、ソフトウエア開発をはじめとするIT系など、事業環境の変化や技術進歩が激しい企業の場合は話が異なる。最新技術を次々と採用するために、従来とは違うタイプの失敗が起こりやすい。失敗から得た教訓を生かせる賞味期限も比較的短く、失敗事例をじっくり学んで再発を防ぐといった姿勢を取りにくい。
 中尾教授によれば、ソフトウェア開発以外の民生品でも、失敗の賞味期限が短くなっているという(※)。そうなると、環境も技術もいずれ変化するし、将来的に役に立ちそうにない失敗を分析することに、果たしてどれだけの意味があるのか?という疑問が湧いてくる。

 賞味期限が短いどころか、失敗そのものが特殊すぎる(=失敗を引き起こした環境や技術が特殊すぎる)場合もある。1000年に1度の大津波によって引き起こされたとされる東京電力の福島原発事故は、その一例だろう。もちろん、まだM8〜9規模の余震が東北沖で発生する可能性があるし、他の原発が稼働している地域の沖合で大地震が起きるケースも想定されるわけだが、今回の原発事故は地震の周期を踏まえると特殊な部類に入るに違いない。

 中尾教授が言及しているソフトウェア開発での失敗や東京電力の原発事故などは、まとめると「再現性の低い失敗」と言える。ここで論点となるのは、繰り返しになるけども、そのような再現性の低い失敗を分析することに意義があるのか?ということである。

 とはいえ、少なくとも福島原発事故に関しては、原因分析など不要だと主張する人はさすがにいない。国民を震撼させた大事故に対する説明責任を東京電力が果たさなければならないという意味で、原因分析は必須である。だが、それ以上に、東京電力は今回の原発事故を分析することで、原発以外の全ての事業・業務についても、

 ・想定しているリスクの種類や水準は適切か?(全てにおいて今回の大津波ほどの特殊ケースを想定するのは難しいが、リスクの想定が甘くなっている領域はないか?)
 ・それぞれのリスクに対する対応策は明確化されているか?
 ・重大な問題が起きた際の現場における対応手順が、問題のカテゴリ別に標準化されているか?また、その標準手順は社員に浸透しているか?
 ・重大な問題が起きた際の現場―マネジメント層間における情報収集プロセス、意思決定プロセス、情報伝達プロセスが、問題のカテゴリ別に定義されているか?
 ・いわゆるヒヤリハット(重大な事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例)を現場から吸い上げる仕組みは整っているか?
 ・ヒヤリハットの原因分析を行い、改善策を現場にフィードバックするループが整備されているか?

などの視点から総ざらいする機会を得たことになる(実際、東電の中でこれらの議論がどの程度進んでいるのかはよく解らないけども)。さらに言えば、東京電力以外の企業も、上記の論点を自社の業務に当てはめることで、自社のこれまでのリスクマネジメントを見直すことができるはずだ。

 震災後、自社のBCP(事業継続計画)を見直した企業は非常に多いと聞く。しかし、その大部分は、例えば電気の供給が途絶えた場合にどうするのか?部品の供給が滞った場合にどうするのか?自社の社員が通勤できなくなった場合にどうするのか?など、自社が”実際に直面した問題”に対する対策である。しかも、これらのリスクは停電や交通網の乱れ、異常気象などによっても顕在化するから、再現性が高い。前述のように、自社とは無関係な東京電力の「再現性の低い失敗」を参考にして、自社のリスクマネジメント全般を再点検した企業は、一体どのくらいあるだろうか?

 原発事故の話を拡張させると、一般的に「再現性の低い失敗」からも、見方を変えれば学びを引き出すことは十分に可能だと思う。その際にポイントとなるのは、環境や技術のレベルのみを掘り下げるのではなく、マネジメント面に注目することであろう

 「こういう環境に直面したらこうする」とか、「こういう技術を使う時はこのような点に注意する」といった、環境や技術と紐付いた改善策は、おそらく再利用が難しい(例えば、[原発技術のことはよく解らないが、]「冷却装置の強度を上げる」、「冷却装置が落ちた時のバックアップ機能を強化する」といった技術的な対策は、原発の範囲でしか使えない)。だが、環境変化を察知できなかった、あるいは技術的な不備を放置してしまったマネジメントに原因を求めれば、そこから教訓を導き出せることは、東京電力の例からも明らかである。

 と、今日の記事は前回に比べると何となくもやっとした内容になってしまった(汗)。埒が明かないのでこの辺で終了・・・。本当は、再現性の低い失敗を分析し続けることで、社員の「失敗に対する感度」が上がり(言い換えれば、失敗につながりそうな事態に対して敏感になり)、それが緊急事態に役立つ、といったことも書きたかったのだが、うまく表現できなかったため省略。


(※)本論から外れるけれども、失敗の賞味期限が短くなっているというのは個人的にちょっと困った話で、私が以前書いた「「イノベーションに失敗した人」の評価方法に関する素案」の内容をもう一回考え直さなければいけないよなぁと感じた。というのも、この素案では、失敗から得られる教訓が広く横展開できることを前提に、失敗の金額的価値を試算しようとしているからだ。
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