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January 29, 2012

「好意的サディスト」という優しい顔をした攻撃者に注意―『キレないための上手な「怒り方」』

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キレないための上手な「怒り方」―怒りたいのに怒れない、怒ると人を傷つけてしまうあなたにキレないための上手な「怒り方」―怒りたいのに怒れない、怒ると人を傷つけてしまうあなたに
クリスティン デンテマロ レイチェル クランツ Christine Dentemaro

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 先日までの記事「『キレないための上手な「怒り方」』(1)(2)」で、上手に怒ることができない3タイプの人を紹介したわけだが、このうちタイプ1「怒りを表に出さず蓄積させてしまう人」とタイプ2「怒りに気づいていない人」は、本人が怒りを表現している自覚がないにもかかわらず、実際には相手に対して強烈な怒りをぶつけていることがある、という著者の指摘にハッとさせられた。

 タイプ1「怒りを表に出さず蓄積させてしまう人」がしばしばとる「沈黙」という手段は、それだけで十分な怒りの表現になる。スコットとジュリーシャの例で言えば、口げんかの末にだんまりを決め込んでしまうスコットは、自分が怒っている理由の解読作業を全てジュリーシャに丸投げしている。スコットは「僕のことが本当に好きなら、僕が何を考えているかぐらい、言わなくても解るはずだろう?」と何気なく口にした後黙り込んでしまうけれど、別の見方をすれば「つき合っている僕の気持ちも解らないなんて、君は愚かだ」と怒っているに等しい(ジュリーシャはそう解釈するかもしれない)。

 もちろん、沈黙を通じて怒りを表していることを本人が自覚している場合もある。一例を挙げると、逮捕理由に不満がある被疑者は、黙秘によって取調官に対し怒りを伝えようとするだろう。また、私の中学校の時の理科の先生は、この手の怒りの表現が得意だった。我々生徒が私語でざわざわしていると、先生は話すのをパタッとやめてしまい、板書だけで授業を進めるのである。終業のチャイムが鳴るまで、教室に響くのはチョークと黒板消しの音のみ。これは非常に怖かった。

 こういうケースであれば、沈黙によって怒りを訴えていることが明白だし、相手も怒りの理由を比較的容易に理解することができる(理科の先生は、生徒の私語で授業が思うように進められないことに怒っている)。スコットの例で重要なのは、怒りが上手に表現できずに押し黙ってしまう人が、意に反して無意識のうちに怒りを表現し、相手に攻撃を加えることがあるという点である(スコットは本当に「ジュリーシャが愚かだ」と言いたかったわけではないはずだ)。

 本人は殻に閉じこもって、「何で自分の気持ちを解ってくれないんだろう」と被害者意識を持っている。しかし一方で、沈黙という武器を振りかざす加害者でもあるのだ。さらに悪いことに、本人には加害者意識がないし、怒りの理由を相手にちゃんと伝えていないから、相手との認識ギャップが大きくなり、問題をこじらせる危険性をはらんでいる。

 沈黙が怒りを表現する武器になる、というのはまだ解りやすいものの、実はタイプ2「怒りに気づいていない人」のように、普段は全く怒らない人でも、別の手段で怒りを表現していることがある。タイプ2の人は、相手から何か不愉快なことをされても、「いいよ、私のことは気にしないで」、「あなたがよければ、私はそれでいいから」と返すクセがある。だが、この相手に対する好意の言葉こそが、怒りの表現になるというのである。

 先日紹介した『どうしても「許せない」人』には、「好意的サディズム」という言葉が登場する。例えば、母親が子どもを思うあまりに、「母さんのことはいいのよ、あなたさえ幸せであれば」と言ったとする。表面的には優しい母親のように見えるけれども、見方を変えると「あなたの幸せは、私の犠牲の上に成り立っているのよ」というメッセージを暗に子どもに伝えていることにもなる。極端な話をすれば、子どもは「自分が幸せにならないと、お母さんは生きている価値すらない」と思い込み、何をするにしても母親が生きている証となるようなことしかできなくなるかもしれない。この母親の行為は、表向きは好意的だが、本質的には「束縛」なので、「好意的サディズム」と呼ばれるようだ。

 これと同じようなことを、タイプ2の人はやってしまう可能性がある。タイプ2の例としてメリエレンを取り上げたが、メリエレンの母親もまたタイプ2に属する人である。ある日母親は、週末は夫婦で休暇に行くから、弟と妹の世話をしてほしいとメリエレンに頼んだ。しかし、メリエレンは週末にデートや買い物の予定が入っていることを理由に、母親のお願いを断ろうとした。すると、母親はこう言った。
 あら、それならべつにいいのよ。そりゃあね、お父さんが最近、どうも体の調子がよくないっていうから、ちょっと町を離れたほうが、体のためじゃないかと思っただけなんだけどね。でも、お父さんにはちょっとくらい待ってもらったって、たいして変わりはないでしょう。それに、ホテルの割引も使えなくなっちゃうけどねえ。有効期限は今週だけなのよ。だけど、それくらいたいしたことじゃないわ。遊んでいらっしゃい。
 母親としては、メリエレンの気持ちを最大限に尊重したつもりだろうが、ここまで言われて喜んで出かけられる子どもはいないだろう。これこそまさに、「好意的サディズム」の一例である。本書では、このような婉曲的な攻撃の仕方を、心理学の言葉を用いて「受動―攻撃的行動」とも呼んでいる。

 タイプ1・2の人たちにとって、今日の記事で取り上げたテーマは非常に厄介だ。なぜなら、自分は怒りを表現するのが上手でないと思っているのに、自分があずかり知らぬところで怒りを表現してしまっているからだ。では、タイプ1・2の人たちはどうすればよいだろうか?

 まずタイプ1の人は、自分が怒りを我慢して押し黙ってしまった時、怒りを表現できなかったことを後悔するだけでなく、(相手が『どうしても「許せない」人』に登場するような、よほどの鈍感でない限り、)相手が自分の怒りを察知している可能性に思いを巡らせた方がよいだろう。しかし、相手は自分の怒りを正しく理解しているとは限らない。むしろ、間違った認識を持っている確率の方が高い。なぜなら、こちらから自分の怒りの内容を伝えていないのだから。よって、双方の誤解を解くためにも、できるだけ早く自分の怒りを相手に説明した方がよさそうだ(至極当たり前だが・・・)。

 タイプ2の人は、相手のためによかれと思って発した好意的な言葉が、実は相手に必要以上に気を遣わせているのではないか?と考えることが大切であろう。ところがこれは、タイプ2の人にとって大きなジレンマを伴う作業かもしれない。そもそもタイプ2の人は、「何か問題が起きたら、相手のせいにせず、自分に非がないかを検討するように」と教えられた人が多く、この思考パターンのせいで、自分を犠牲にし、怒りを無意識の領域に閉じ込めることを覚えてしまった人たちである。

 先日の記事「怒りを上手に表現できないと人生で割を食う―『どうしても「許せない」人』」では、思考パターンをひっくり返して、相手に非がないかを考えてもよいのでは?と述べた。にもかかわらず、再びここで、自分の好意的な言動に問題がないかをチェックしなければならないわけだ。これがジレンマを生み出す大きな要因である。

 しかし、意識せずとも好意的な言動がとれるのはタイプ2の特徴でもあり、周囲の人と良好な人間関係を構築する上での強みでもあるから、それを無理に直そうとする必要はないのかもしれない。ただ1点、好意的な発言をした後で、「本当のことを言うと、自分はこうしてほしいと思っているんだよ」という気持ちをそっと、飾らずに、素直に伝えるだけでも、サディズムは和らぐのではないだろうか?

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