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August 18, 2011

【水曜どうでしょう論(1/6)】某局のコンセプト「楽しくなければテレビじゃない」を本当の意味で体現しているのがどうでしょう

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 またしても水曜どうでしょうと経営学を結びつけて書いてみようという、無謀な企画(苦笑)。水曜どうでしょうは、テレビの常識を次々と破った最強のローカル番組ということになっているが、じっくりと観てみると、マネジメントにおける重要な原理原則をしっかりと踏襲している。

 労働集約的なサービス産業が増加するにつれて、「社員満足度(ES)の向上が顧客満足度(CS)の向上につながる」(※)と言われるようになった。つまり、顧客とじかに接する社員自身が仕事に満足していなければ、顧客を満足させることなどできない、というわけだ。ディズニーやノードストローム、リッツカールトンはこの原則を大切にしている企業としてよく知られている。

 どうでしょうの場合、ミスター(鈴井さん)&大泉さんと、藤村D&嬉野Dの4人で番組を作るのが基本となっているが(時々、「無類の不器用」こと安田さんが入る)、あれだけ罵声が飛び交い、騙し合いやけなし合いを繰り広げているのに、視聴者には4人が楽しく旅をしているように映る。

 当然のことながら、OAで4人がマジ喧嘩をしていることなどないのであって、「こういう言葉をぶつけたら、本気でキレずに、ギリギリの線で面白おかしく返してくるだろうな」という”ツボ”を、お互いに熟知しているのである。あとは、「そのツボを、どうやってうまく押し続けるか?」という点に4人ともフォーカスを絞っており(特に大泉さんと藤村D)、その心理戦を楽しんでいるわけだ。

 どうでしょうClassicの放送で、たまに本来の前枠・後枠ではなく、現在の2人が登場して当時の企画を振り返るシーンが出てくる。その中で、ピストル ビストロ大泉がキャンピングカーで毎晩ひどい飯を3人にお見舞いし、後に「喧嘩モノ」の第一作と言われるようになった『北極圏突入アラスカ半島620マイル』について、大泉さんは「もう一度行ってみたいと思うのは、あのアラスカの旅だ」と発言している。

 先日購入したDVD第15弾『アメリカ合衆国横断』の副音声でも、藤村Dは「アラスカに比べると、僕の中ではアメリカ横断は印象が薄かった」と言っているものの、大泉さんは「アメリカの旅は、(グランドキャニオンやアリゾナ大隕石孔など)ちょこちょこと面白い景色が出てくるから、楽しかったな〜」と回想している(サンタフェのレストランで吐き倒したにも関わらず、である)。

 ミスターはちょっとポジションが違っており、たいてい企画のスタート時に、「自分はあんまり乗り気じゃない」とか、「本当は行きたくない」などと、自分が番組の企画・構成に携わっているという立場を忘れて、平気で悪態をついてしまう。それなのに、ふたを開けてみれば、

 ・中華が嫌いと言った『香港大観光旅行』では、中華料理に舌鼓を打ち(漢方ゼリーだけはダメだったが)、
 ・アメリカが嫌いと言った『アメリカ合衆国横断』では、「ペトリファイド・フォレスト(化石の森)国立公園」をやけにうきうきとはしゃぎ回り、
 ・キャンプが嫌いと言った『ユーコン川160km』では、夜のキャンプファイヤを眺めながら、「火は神聖な気持ちになるなぁ」、「生まれ変われるかもしれない」と、キャンプにはまったかのようなセリフを発する

など、ここぞというところでは、実は4人の中で一番旅を楽しんでいるのである。「あれだけ斜に構えていたのに、態度が全然違うじゃないか〜」というギャップに、見ている側も思わず笑ってしまうわけだ。

 藤村・嬉野両ディレクターが番組を楽しんでいるのは、敢えて述べる必要もないだろう。そもそも、どうでしょうという番組自体が、「藤村Dが行きたいところへ行って、やりたいことをやる番組」だし、笑いのツボが藤村Dと似ている嬉野Dは、藤村Dについて行って、趣味の写真を撮りながら自分も楽しむ、というスタイルで15年も番組を続けている。

 もちろん、ブンブンや深夜バス、東京ウォーカーなどのように、ツライ企画だと音を上げてしまうことは多々ある(特に藤村Dは、自分で考えた企画なのに、真っ先に弱音が出るタイプ)。だが、例えば『世界の果てまでイッテQ!』みたいに、本当に猛獣が出たり、治安が不安定な国に行ったりすることはない。そこはちゃんと予防線を張っており、「ちょっとツライ、でも頑張れば乗り切れる」というラインを貫いているのである。

 何かのインタビューだったか、DVDの副音声だったかちょっと忘れてしまったが、「どうでしょうは、ダイヤモンド社の『地球の歩き方』に載っている都市や名所を訪れているだけだから、決して無茶をしているわけではない」と語られていた記憶がある。

 以前の記事「アメトーークと水曜どうでしょうの比較論」(これが、お笑いについて真面目に論じた無謀な記事の第1弾、汗)でも書いたが、最近のバラエティは「出演者が本当に楽しいと思ってやっているのか?」と、しばしば疑問を感じる。ゴールデン枠のバラエティに関しては、時間帯的に見るのが困難なのであまり深く切り込めないけれど、テレビ局にとって格好の”実験場”である深夜枠は、もっとはっちゃけてもいいのではないだろうか?

 ところが、どうも全体的に小さくまとまっている印象が否めない。これには、企画そのものが弱いという理由もあるだろう。だがそれ以上に、

 ・とりあえず旬のタレントをスタジオに閉じ込めて、構成作家やディレクターたちが用意したシナリオをタレントに演じさせているだけ
 ・下請の制作会社がコスト削減の圧力の中でどうにか作ったVTRを、タレントがただ紹介しているだけ

などという構図がどこかで見えてしまい、その瞬間に興ざめしてしまうからだと考えられる。しかも、最近は芸能事務所がこぞって所属タレントを大量にテレビ局に売り込んでいるせいか、深夜でさえ1つの番組に出演するタレントの数が増えているように感じる(これは、誰かに実数値を算出してほしいぐらい)。

 そうなると、1人あたりの出演時間をできるだけ均等にしようとする構成作家やディレクターは、番組の流れを企画段階で相当細かく決めなければならない。しかし、それをやった瞬間に、番組は先ほどの”興ざめの構図”へと突入してしまうのであって、見ている側は堪えられなくなる。要するに、作り手と演じ手が完全に分離している上に、両者とも仕事に心がこもっていないということである。

 その点、どうでしょうは作り手と演じ手の垣根がないに等しい。これは、従来のテレビ業界の常識からすれば考えられないことなのだろうけど、「面白い番組を視聴者に届けるには、制作に携わっている人間全員が楽しんでいなければならない」、すなわち「顧客の満足度を上げるには、顧客に接する社員の満足度が高くなければならない」という、ビジネスの基本に忠実に従った結果なのである。

(※)このテーマに関する以下の過去記事もご参照ください。
 「ES向上⇒CS向上⇒利益向上」の自己強化システムについての考察−『バリュー・プロフィット・チェーン』
 「ES向上⇒CS向上のサイクル」をサプライチェーン全体に広げてみたら―『バリュー・プロフィット・チェーン』
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