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February 22, 2011

トリの論文は何と「マネジメントはプロフェッショナル職でない!」―『プロフェッショナル「仕事と人生」論(DHBR2011年3月号)』

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 (これで最後ね)

ジェンダー調査機関「カタリスト」がデータに基づいて指摘 メンタリングでは女性リーダーは生まれない(ハーミニア・イバーラ他)
 (2008年にカタリスト[女性のキャリア推進などを目的とする大手国際NPO]が実施した)調査対象者のうち、メンターがいると回答したのは、男性より女性のほうが多かったのだ。女性のほうが手厚いメンタリングを受けているのに、より上位の管理職に就けないのはなぜなのだろうか。(中略)

 その結果わかったのは、メンタリングといってもすべてが同じではないということである。「スポンサーシップ」という特別な関係があり、その場合のメンターは、メンティ(メンタリングの受け手)に評価や助言を与えるだけにとどまらず、自分のメンティを登用するように上級幹部に働きかけているのだ。
 メンタリング制度は数年前から地味〜に注目を集めているのだけれども、制度の目的や成果の定義があやふやになっているケースが結構あるように感じる。

 メンタリング研究の第一人者であるキャシー・クラムは、メンタリングの機能を大きく「キャリア的機能」と「心理・社会的機能」の2つに分け、さらに下位分類としてキャリア的機能には「スポンサーシップ」、「推薦と可視性」、「訓練/コーチング」、「保護」、「挑戦しがいのある仕事の割り当て」を、心理・社会的機能には「役割モデルの提示」、「受容と確認」、「カウンセリング」、「友好」を挙げている。

 また、海外の実証研究によると、メンタリングから得られる効果には、「キャリアの発達とサクセス」、「キャリア満足」や「高いモティベーション」、「高業績」などがあるとされる(http://www.jiam.jp/journal/pdf/v65/jiam_kougi.pdf を参照)。

 ただ、これらの機能や効果は、複数の企業を観察した結果として総合的に導かれた非常に幅広いものである。よって、企業が実際にメンタリング制度を導入する際には、自社にとっての目的と目指す成果を絞り込む必要がある。

 それが不十分なままメンタリング制度を導入すると、メンターが勝手に自分の役割やゴールを決めてしまう。男性社員のメンターはメンティの昇進を伴うキャリア発達こそが目的だと解釈し、女性社員のメンターはメンティの悩み相談こそが目的だと解釈する。こうした認識のギャップが、引用文のような結果を招いている一因であるように思われる。

 ちなみに、論文ではIBMのユニークな事例が紹介されていた。IBMのメンターには、「スポンサーシップ」が明確な役割として課せられており、一定期間で昇進させるメンティの人数目標も設定されている。そして、その人数目標の達成度合いは、メンターの人事評価にも影響するという。評価制度にまでリンクさせるのはいかにもアメリカっぽいなぁ、という気がするのだけれども、逆にそのぐらいやらないと、メンタリングの目的やゴールが社員に伝わらないということなんだろうね。

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知識体系ではなく「協働」(コラボレーション)を教えよ マネジメント教育の真の役割(リチャード・バーカー)
 (ケンブリッジ大学のを卒業したMBAホルダーを対象にしたアンケートによると、)現在のキャリアに役立っているかどうかという点では、授業自体よりも学習環境のほうが評価が高い。卒業生はビジネス・スクールの教室外で学んだこと、そしてより広くはケンブリッジ大学のなかで得た授業以外の経験が最も有益だったと回答しているのだ。(中略)

 ビジネス・スクール側は、みずからの第一の役割を、個々の職能の専門知識体系を教える「教育環境」ととらえるのではなく、むしろ個人が特質を伸ばす「学習環境」として認識することが絶対不可欠なのだ。何よりもまず、マネジメント教育では、協働(コラボレーション)を重視すべきだ。
 「プロフェッショナル「仕事と人生」論」という特集なのに、最後は「マネジメントはプロフェッショナル職ではない」という挑発的な論文を持ってきちゃうあたりが、何ともDHBRらしいなぁ。著者の見解によると、プロフェッショナルとは、

 (1)その職業に必要な知識が体系化されていること
 (2)その職業に就く人に求められる倫理規範が確立されていること
 (3)これらの知識や倫理規範を教える機関が存在すること
 (4)一定の知識や倫理規範を有する人材をプロフェッショナルとして資格認定する外部機関が存在すること
 (5)上記の資格を有する人材のみに認められる排他的な業務・仕事が明確にされていること
 (6)倫理規範に反する行為を取った者からは、資格を剥奪する仕組みが整備されていること(※)

の全てを満たす職業のことであって、具体的には医師や弁護士、会計士などが該当する。逆にマネジメントについては、必要な知識の境界が曖昧であり、資格認定も資格剥奪もないから(経営者への道はMBAホルダー以外にも広く開かれている)、プロフェッショナルではないというのが著者の主張である。

 もっとも、マネジメントがプロフェッショナルの定義に当てはまらないからといって、マネジメントに経営知識や倫理規範は不要だということになはらないし、そもそもプロフェッショナルの定義をめぐる議論は、実のところこの論文の根幹ではない。むしろ、著者が言いたかったことは引用文にもあるように、ビジネス・スクールは他者との「協働(コラボレーション)」を学習する環境を整備すべきだ、ということである。

 医師や弁護士などの場合、特定の状況や条件の下では誰もがほぼ同じ結論に達する。無論、人によって多少の解釈の違いがあるから、全員の結論が一致するわけではないものの、例えば同じ病気なのに医師によって治し方がテンでバラバラ、というのでは困ってしまう。

 これに対してマネジメントの場合は、特定の状況や条件の下であっても解がバラバラになるし、状況や条件そのものを変えることによって、全く異なる解を得ることもある。別の表現をすれば、マネジメントは「その時々に応じて固有の知を創造する」ところに特徴がある。マネジメントにとっては、解の多様性は必須である。なぜならば、その多様性こそが差別化要因につながるからだ。

 ガン治療を専門とする医師は、ガンの治療方法については確立された知識を適用することができる。しかし、医療スタッフをまとめるマネジメントの立場に立てば、その時々で最適な知を創造しなければならない。誰とどのように役割分担をするのか、各スタッフのモチベーションをどのように高めるか、患者に生きる希望を持ってもらうには何をすればよいのか、などなど。

 これらの問いから導かれる解は、医師を取り巻く他者とのかかわりから得られる状況固有のものである。そして、その固有の解こそが、患者や医療スタッフを惹きつける差別化要因を形成するのだと思う。

(※)(6)と関連するが、1年ほど前に僭越ながら「プロフェッショナルの条件とは「辞めさせる仕組み」があること」という記事をアップした。これは、研修業界で一時期、「若手社員をプロフェッショナル化するための研修」というのが流行のコンセプトになったことがあり、それに対する問題提起として書いたものである。

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