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February 18, 2011

財を残すは下、業を残すは中、人を残すは上―『プロフェッショナル「仕事と人生」論(DHBR2011年3月号)』

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 スミマセン…ブログの更新が若干滞りました。今月のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの特集は「キャリア開発」にフォーカスが当たっているようだ。この手の特集は珍しいなぁ。

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アメリカで最も物議を醸した経営者を再考する ロバート・マクナマラ:科学的経営の功罪(フィル・ローゼンツバイク)
 (マクナマラは晩年の回顧録の中で、)ベトナムの場合は、敵のモチベーションや優先事項に対する誤解があった、と認めている。「私たちはベトナムを冷戦の一要素だと考えた。彼らのように内戦だとは考えなかった」。それは「ベトナムの人たちの歴史・文化・政治、そして彼らのリーダーたちの個性や気質をまったく考慮しなかったことによる」悲劇的なミスだった。
 この論文は特集の論文ではなく、"HBR Article"という巻頭論文なのだが、「プロフェッショナル・マネジャー」と評されたロバート・マクナマラがどのようなキャリアを歩み、そして晩年に自分のキャリアをどのように振り返っているのかが論じられているという点では、今月号にふさわしい論文だったのかもしれない。

 マクナマラといえば、ケネディ、ジョンソンの両政権で国防長官を務め、ベトナム戦争を指揮したものの、失策を繰り返して最後は辞任を余儀なくされた人物であるという印象が強い。そして、ベトナム戦争の失敗は、マクナマラが統計的な手法を過信し、人間の感情やモチベーションといった、定量化できない情報を無視したためだと一般的には考えられている(私もそう)。

 引用文にもあるように、マクナマラは晩年になって自らの過ちを認めた。では、マクナマラに欠けていたものとは一体何だったのか?マクナマラ自身はそれを「共感力」だと分析している。つまり、相手と同じように世界を見る力である。

 ただ、仮に国防長官時代のマクナマラが、数的処理能力に加えて共感力を備えていたならば、彼はどのような意思決定をしたのだろうか?この論文にはそこまでの言及がなかったのが残念だった。マクナマラの自伝には書いてあるのかな?

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「人生のジレンマ」を克服するために プロフェッショナル人生論(クレイトン・クリステンセン)
 ガンになってみて、自分の(ハーバードビジネスクールの教授として、企業や社会に与える)影響力がいまの私にとっていかに重要でないかわかったのは興味深かった。そして、神が私の人生を評価する物差しは、私が関わりを持った一人ひとりであるという結論にたどり着いた。

 それは、我々みんなに言えることだと思う。自分がどれだけ高い名声を得られたかに気をもむことはない。そうではなく、どれだけ他者がよりよい人間になるよう助けられたかを気にすべきなのである。
 イノベーションの研究で知られるクレイトン・クリステンセンが、なぜ今月の特集に登場しているのか不思議だったのだけれども、読んで納得。クリステンセンは、毎週日曜日には礼拝や奉仕活動を欠かさないという敬虔なクリスチャンである。そのクリステンセンが、日ごろの厚い信仰と、自身の専門である経済学・経営学の諸理論を織り交ぜながら人生を語っていて非常に面白い。

 引用文を読んで真っ先に思い浮かんだのが、今日のブログのタイトルにも挙げた「財を残すは下、業を残すは中、人を残すは上」という言葉。これは、後藤新平が常々口にしていたものだそうだ(これと似たような言葉で、「金を残すのは三流、名を残すのは二流、人を残すのは一流」というのもある)。そういえば、現在の楽天・野村名誉監督が2009年にクライマックスシリーズで敗退して、楽天・日ハム両軍の選手に胴上げされた後のインタビューでもこの言葉を口にしていたなぁ。日ハムには稲葉選手や吉井コーチなどノムさんの教え子が多く、彼らから胴上げされたことが嬉しかったようだった。

 クリステンセンは、経営学からはハーツバーグの動機づけ・衛生要因理論やエドガー・シャインの企業文化論、戦略実行における予算配分プロセスの考え方などを、経済学からは限界収益や限界費用の概念などを引っ張り出してきて人生を論じている。学問を単なる学問として完結させるのではなく、学問と人生を統合しようとするクリステンセンのこの論文には、『イノベーションのジレンマ』を初めて読んだ時とはまた違った感銘を受けたよ。

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「やらされ感」のある仕事をやりがいある仕事に変える ジョブ・クラフティング法(エイミー・レズネスキー他)
 「ジョブ・クラフティング」により、仕事を可視化し、その要素をマッピングし、それらを自分に合ったかたちで再構築することができる。それにより、仕事のとらえ方や進め方に自分らしさを採り入れ、自分が仕事をコントロールしているという感覚を高めることができる。
 この論文では、ソーシャルメディアを活用したマーケティングをやってみたいと思っているある消費財メーカーのマネジャーが、「ジョブ・クラフティング」を用いて自分の業務範囲を変えるのに成功した事例などが紹介されている。

 「ジョブ・クラフティング」は、まずは現状の業務を棚卸し、それぞれの業務にかけている時間をビジュアル化するところから始まる。先ほどのマネジャーは、予算管理や日常業務のマネジメントに割く時間が多く、新しい企画を立案する時間が限られていることを発見した。

 次に、自分の本来の動機や強みに基づいて、自分がやりたいと思う業務を書き加える。このマネジャーは、予算管理などの時間を削減して、ソーシャルメディアによるマーケティングの企画を真ん中に大きく書き足した。

 と、「ジョブ・クラフティング」の概要を説明すればこれだけなのだが、要は「自分のやりたいことを仕事にする」ための手法である。しかし、個人的にはどうもこの手のメソッドは簡単に受け入れられないんだなぁ…。なぜなら、自分がやりたいことを仕事にしたいのであれば、独立して会社を立ち上げるのが手っ取り早いからである。

 そうではなく、今の組織や職位にとどまりながら、自分がやりたい仕事をやろうとするのであれば、組織や周囲のメンバーの事情も考慮する必要がある。先ほどのマネジャーの例で言えば、現状で予算管理や日常業務のマネジメントの時間が多くなっているのは、会社の側にもそれなりの理由があるに違いない。

 その会社では、マネジャーというのはそもそもそういう仕事をするものだ、という伝統的な文化があるのかもしれないし、上司がこのマネジャーのマネジメント能力を高く買っているのかもしれない。あるいはここ数年はどの部門も予実の乖離がひどいため、マネジャーに厳密な予算管理をするよう上層部から命じられているのかもしれない。

 周囲のそうした事情や自分に対する期待を理解することは決して無意味ではない。というか、組織で生きる以上、これは不可欠である。「ジョブ・クラフティング」には、どうもこの視点が抜けているような気がするんだね。

 また、このマネジャーは新たにソーシャルメディアを活用したマーケティングへの着手を決めたようだが、「単に自分がやりたいから」という理由だけで、会社側がソーシャルメディアの利用を許可するはずがない。

 ソーシャルメディアがその会社にとってどのようなメリットをもたらすのか?逆にリスクはないのか?あるいは、このマネジャーがソーシャルメディアを勝手に始めることに不快感を持つ社員はいないのか?(例えば、既存のマスプロモーションを担当社員は、マネジャーの行動を快く思わないかもしれない)

 さらに、このマネジャーが新しい業務に時間を割くことによって手薄になる日常業務のマネジメントはどうなってしまうのか?部下の誰かがやってくれるのか?彼らにそのようなマネジメント能力はあるのか?それとも、このマネジャーの部門予算を縮小させてもよいということなのか?これらの問いに十分に答えられなければ、マネジャーの希望は単なるわがままにしかならないと思うんだな。
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