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January 29, 2011

日本軍の失敗から意思決定の教訓を引き出そう―『日本軍「戦略なき組織」失敗の本質(DHBR2011年1月号)』

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 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2011年1月号のレビューの続き。

戦艦大和特攻作戦で再現する 合理的に失敗する組織(菊澤研宗)
 戦艦<大和>の沖縄特攻作戦をめぐる意思決定プロセスを分析した論文。この作戦については、早い段階から<大和>の燃料不足が指摘されていた。<大和>の積載燃料では沖縄に到着するのがやっとであり、沖縄から帰還できない可能性があったのだ。案の定、いざ実行の段階になって、<大和>を指揮する伊藤長官がこの作戦に反対した。

 しかし、その伊藤長官も、草鹿参謀長と三上作戦参謀の「一億玉砕の魁(さきがけ)になってもらいたい」という一言で沖縄出撃を受け入れてしまう。各艦長向けの作戦説明の場でも、伊藤長官は「我々は死に場所を与えられたのだ」と発言して、艦長たちの批判を封じ込めたという。

 合理的かつ冷静に考えれば無茶だと解っている意思決定にあっさりと人が従ってしまうのはなぜか?著者はオリバー・E・ウィリアムソンの「取引コスト理論」を用いて、「交渉や反論によって誰かの意思決定をひっくり返そうとするには、多大な時間と労力がかかる。その取引コストの大きさゆえに、意思決定の内容が非合理的であっても、人は敢えて沈黙を選択するのである」といった趣旨の説明を展開している。

 私なりに2点ほど補足。まず第一に、人は負けが込んでくると、物質的なダメージの大きさ以上に心理的なダメージを受けてしまい、その心理的ダメージを回復させるべく、昔と同じ戦術(たとえそれが非合理的であっても)に頼る傾向があるらしい。

 この点については、例えばギャンブルで負けが込んできても、いつか負けを取り戻せると信じてお金を賭け続けてしまうギャンブル依存症の人を想像すれば、何となくお解りいただけるのではないだろうか?(同じく菊澤研宗氏が以前DHBRに寄稿した「リーダーの心理会計」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2006年2月号を参照。同論文では、陸軍大佐・辻政信の心理分析が行われている)。

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 <大和>の沖縄特攻作戦が計画された頃には、すでに日本軍が各地で敗戦を重ねており、さらに特攻隊が多数の犠牲者を出している最中であった。こうした状況が海軍を心理的に追い込み、無謀な作戦へと走らせたとも言えそうである。

 2点目は<大和>の沖縄特攻作戦から得られる教訓であるが、「大義名分が掲げられた時こそ要注意」ということだ。窮地におけるリーダーの役割は、メンバー個々人の利害や動機を超えた共通目的を設定することである。

 リーダーはメンバーがそれまで安住していた世界を一変させようとしているのだから、本当に正しい共通目的であれば、必ずどこかの部分でメンバー個人の利害と対立する。逆に言えば、周囲からの反対意見が出ない共通目的は、むしろ正しくない可能性すらあると言えるだろう。

 リーダーは、それぞれのメンバーの利害に共感し、変革によって失うことになる利害と、変革によって得られるメリットとの間で忍耐強く調整を行う。この作業を通じて、メンバーの関心を共通目的へと束ねていくことが、リーダーには求められるのだ。

 ところが、伊藤長官の「我々は死に場所を与えられたのだ」という大義名分は、軍人たちの利害調整を行う機会を奪ってしまった。大義名分は、一見もっともらしい理由を与えてくれるから非常に厄介だ。伊藤長官が示した大義名分によって、軍人たちは「作戦が失敗しても、国家のために戦ったという示しがつく」、「<大和>を出撃させれば、『海軍にはもう艦はいないのか?』と迫る天皇陛下にも一応の説明がつく」といった具合に、個人的な利害をおかしな形で大義名分に迎合させてしまったのである。

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ノモンハン事件「失敗の教訓」 情報敗戦:本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか(杉之尾宜生)
 日本とドイツの板ばさみにあって窮地に追い込まれていたソ連は、1939年8月に独ソ不可侵条約を締結し、日本への反撃に転じた。これにより、日本軍は極東での主導権を失う。反共のドイツと反ファシズムのソ連が手を結ぶことを日本軍の上層部は予期していなかった。一方、現場レベルでは、同年の4月頃からソ連がドイツに接近しているという情報をすでに入手していたという。

 なぜこの情報が黙殺されたのか?そのいきさつを検証しながら、日本軍の情報敗戦の原因を明らかにする、というのがこの論文の内容である。結論としては、「日本軍には、現場のインフォメーション(情報)をインテリジェンス(知性)に変換する中央集権的な組織が存在しなかったことが原因だ」ということになっている。この結論自体は割とよく聞く話だなぁ、という印象だった。

 企業でも、戦略の立案を目的とした中央集権的な組織を本社に設置することが多い。このスタッフ部門のメンバーは、現場が断片的に持っている情報や、彼らが独自に入手した情報を基に、高度な分析手法を用いて戦略オプションを導き出す。

 だが、こうした中央集権的な組織は、ややもすると現場との乖離を招くリスクも抱えている。現場はスタッフ部門のことを「現場を知らない連中が作った戦略などに従っていられるか!」と反発し、スタッフ部門は現場のことを「戦略の『せ』の字も知らない低レベルな連中だ」と見下すことが往々にしてある。

 個人的には、「現場はインフォメーションの収集に、中央はインフォメーションからインテリジェンスへの転換に特化すればよい」といった簡単な話で片付けられる問題ではないと思う。「じゃあ、どうすればいいのだ?」と言われるとなかなか難しいのだけれども、

 ・現場はインフォメーションだけでなく、インフォメーションから導かれる戦略・戦術オプション(もちろん、現場は戦略立案が本職ではないから、断片的な戦略でもよい。また、戦略まで至らない個別具体的な戦術でも構わない)も合わせて提示する。
 ・本社は、現場から上がってきた戦略・戦術オプションに対して、独自の情報と知見を加えてオプションをブラッシュアップし、各オプションの実効性を評価する。

 といった具合に、現場と本社の棲み分けをいい意味で曖昧にして、両者が有機的に連動するような仕組みを目指す方が賢明な気がするんだな(とっても抽象的だけど、汗)。
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