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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
December 24, 2010

他人からのアドバイスにはどのくらい耳を傾ければいいんだろうか?―『リーダーへの旅路』

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ビル ジョージ
生産性出版
2007-08
おすすめ平均:
直訳したような日本語が残念だが、読む価値あり
posted by Amazon360

 (前回からの続き)

(2)他者からのフィードバックにはどの程度耳を傾ければよいか?
 「リーダーは他人からのアドバイスを真摯に受け入れるべきだ」というのも、リーダーシップ論によくある主張である。以前、「『タスクは簡潔に、コミュニケーションは密に』がリーダーシップの重要な原則」という記事で、戦国時代の武将・堀秀政の逸話を紹介した。あの記事を書いた時は、よかれと思って安易に引用してしまったのだが、よくよく考えてみると「他人のアドバイスをすべて聞き入れてよいものかどうか」は検討の余地がある。

 同書では、他者からの批判的なフィードバックの効果について、次のように述べられている。
 自己認識を高めるうえで経験するもっとも困難な点は、自分自身をほかの人たちが見るように理解することだ。ほかの人たちに耳を傾けることはそれほど容易ではないけれども、リーダーたるもの、自らの隠されたスポットを理解するために、ほかの人たちからの正確なフィードバックを必要としているのだ。
 しかし同書では、他者からのフィードバックに耳を貸さなかったことで困難を乗り切ったリーダーも紹介されている。次の言葉は、倒産の危機から立ち直ったある銀行のCEOのものである。
 ときによって、コンサルタント、弁護士、外部のアドバイザーが、どのように人生を送れと助言したがるときがある。そんなときわれわれは自問する。つまりわれわれは人格、インテグリティ、親切な心、慈愛を備えた人間なのか、あるいは誰かほかの人が告げたことにモチベートされる人間なのかという問いだ。人生の終わりに、われわれの葬式で何と言ってもらいたいのかを注意しておくべきなのだ。
 一見矛盾するこの2つの文章からは、「リーダーは他者からのフィードバックにどのように対峙すべきか?」という問いが導かれる。もちろん、ケースバイケースだと言ってしまえばそれまでなのだが、1つの答えとして次のように考えることができるのではないだろうか?

 リーダーが他者から受けるフィードバックには、「リーダー自身の性格や価値観、行動や能力」に対して向けられたものと、「リーダーが属する(あるいは、何らかの利害関係を有する)チームや組織全体」に対して向けられたものの2つがあると考えられる。例を挙げると、前者は「あなたの部下指導力には問題がある」といったものであり、後者は「会社の業績が芳しくないから、特に業績の悪いあの部門は縮小した方がいい」といったものである。

 あくまで個人的な見解だが、前者のフィードバックに対しては真摯に耳を傾けるべきであり、後者に対しては懐疑的な態度で臨むことが大切なのではないだろうか?前者のフィードバックは、リーダーとの関係をリスクにさらした上で発せられているのであり、それだけ差し迫ったものである。リーダーに対して、「あなたはこうだ」と直球で勝負をすることは、リーダーとの関係が壊れる危険性をはらんでいる(堀秀政の例でも、城主の批判をした町民は処刑される可能性があった)。それでもリーダーに一言物申さなければならないということは、その内容にかなりの真実味があることを示唆している。

 これに比べれば、後者のフィードバックは、リーダーとの関係をリスクにさらす度合いが低い(もちろん、会社の批判ばかりしているとクビになる、というリスクはあるが)。後者はリーダーとフィードバックをする人の間で「ガチンコ勝負」をしているわけではないのだ。これが何を意味するのかというと、フィードバックをする人には、リーダーを出し抜く余地があるということである。

 解りやすいのは経営者と投資家の関係であろう。投資家が「経営効率を上げるために、固定資産を売却した方がよい」と経営者に迫ったとする。しかし、投資家にとっての関心は、実際に経営効率が上がるかどうかではなく、固定資産の売却によってどのくらい株価が上がるかということかもしれない。

 同じように、先ほどの「会社の業績が芳しくないから、特に業績の悪いあの部門は縮小した方がいい」という助言も、会社の将来に対する憂慮から発せられたのではなく、社内政治上排除したい部門であるからという理由で発せられのたかもしれない。

 要するに、後者のフィードバックは、リーダーに向けられているようで、実際にはフィードバックする人自身の利益に向けられている可能性があるということだ。だからこそ、リーダーは、フィードバックをした人の"本当の利害"がどこにあるのかを、懐疑的な態度で慎重に探る必要があると思うのである。

(3)リーダーが拠り所とする「よい価値観」とは何か?
 「リーダーの価値観」の話が出てくると、個人的には「じゃぁ、よい価値観とそうでない価値観はどうやって識別すればいいんだい?」という疑問を投げかけたくなる。この問いに真っ向から答えている書籍を、私は今のところ知らない(単に、十分に探していないだけだが(汗))。

 ピーター・センゲのU理論に残された問題(補足)-『出現する未来』
 優れた古典は深遠な議論への入り口である-『リーダーになる』

 「よい価値観とは何か?」という問いに対して、言葉で答えることはそれほど難しくない。同書でも「価値観は『道義上の羅針盤』である」と述べられているように、よい価値観は道義にかなったものでなければならない。では、「道義とは何か?」が次に問題になるのだが、これが非常に難しいわけだ。私も、「これこそが道義だ」と自信を持って言えるものを提示することはできない。現時点では、次のような月並みなチェックリストで精一杯である。

 ・利己主義・自己保身一辺倒ではない
 (「利己主義や自己保身から完全に離れた価値観」というのが果たしてありえるのかも、実は大きな争点だと思う)
 ・自分が所属する組織の他のメンバーの利益につながるものである
 ・上記の利益は短期的なものではなく、中長期的に持続するものである
 ・自分が所属する組織以外の利害関係者の利益を著しく損なうものではない

 価値観が重要なのは、それが組織デザインの基本的な柱にもなるからである(以前の記事「『ES向上⇒CS向上⇒利益向上』の自己強化システムについての考察-『バリュー・プロフィット・チェーン』」を参照)。そしてここに、価値観をめぐるもう1つの厄介な問題が潜んでいる。それは、「価値観自体はよいものであっても、それを反映した組織の制度やルールは、いつの間にかおかしなものになっていくことがある」ということである。

 IBMには、トーマス・ワトソン・シニアが創業してから間もない頃に掲げた「個を尊重する」という価値観があった。この価値観は、IBMの終身雇用的な人事制度をはじめ、組織の様々な要素に反映されていた。ところが、いつの頃からか、この価値観の意味が捻じ曲げられてしまい、「社員がやりたがらないことはやらなくてもいい」という風潮が生まれてしまっていた。

 この風潮が制度化されたものこそ、ルイス・ガースナーもびっくりしたという「Noの制度」である。Noの制度に従えば、部下が上司から仕事を依頼されても、「No」の一言で拒否できる。ガースナーにとっては耳を疑う事態であったが、部下にしてみれば、「個を尊重する」という創業以来の価値観に従って行動しているだけのことである。この認識ギャップが問題を厄介にしている。

 こうした問題に陥らないようにするためには、「よい価値観と組織デザインの間に齟齬が生じていないかどうか」をモニタリングする仕組みを組織の中に埋め込む必要がある。ただ、言葉で書くのは簡単なのだけど、具体的にどうすればよいかというと、正直なところうまい解を提示できないんだな、これが…。
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