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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
November 01, 2010

ナレッジマネジメントシステムの話は一切出てきません−『経験知を伝える技術』

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ドロシー・レナード
ランダムハウス講談社
2005-06-23
おすすめ平均:
著者の提示する「ディープ・スマート」という概念に疑問
OJTを過剰に重視する風潮に一石を投じる一冊。
経験知の重要性を論理的に説いた本
posted by Amazon360

 団塊の世代が一斉に退職を迎え、彼らの熟練技術が企業から消失するという「2007年問題」が注目されていた頃は、「ナレッジマネジメントシステム」が有益なソリューションとしてそれなりに脚光を浴びたような気がする。しかし、それから数年が経った現在、企業側の需要やシステム側の機能はどうなっているんでしょうね?誰か詳しい方がいらっしゃったら、このブログのコメント欄か、twitterのDMで教えていただけると嬉しいです(何という他力本願、汗)。

 以前もこのブログで触れたことがあるが、コンサルティングファームのBain & Companyが世界中の企業経営者を対象に、戦略プランニングやベンチマーキング、シックスシグマ、バランススコアカードといったマネジメントの主要なツールについて、「利便性」と「満足度」を尋ねる調査を定期的に実施している。最新の調査は2008年に行われており、その結果は"Management Tools 2009"として公開されている。

 Management Tools 2009; An Executive's Guide
 (調査対象となった25のツールと、最新のトップ10)
 Download a report on Management Tools & Trends 2009
 (調査結果本文)
 Download a PDF presentation of the results
 (パワーポイント資料のPDF版。地域別の結果や過去の順位なども掲載されている)

 調査対象のマネジメントツールには、「ナレッジマネジメント」も含まれている。この調査においては、グループウェアだけでなく、知的資本管理や組織学習、マネジメント・イノベーションといった非IT系のコンセプトも含めて「ナレッジマネジメント」と呼んでいるため(「http://www.bain.com/management_tools/tools_knowledge.asp?groupCode=2」を参照)、システムそのものに対する評価までは解らないのだが、結果を見ると散々たるものだ。

 2006年こそ「利便性」で69%というスコアを出してトップ10ツールの仲間入りをしたものの、2008年は一転して「利便性」、「満足度」ともに平均値を下回り、「ダメなツール」の烙印を押されてしまっている。

 ナレッジが企業の競争力を左右する貴重な経営資源であり、ナレッジを組織内で効率的に流通させ、社員間で効果的に共有することの重要性は今さら強調するまでもないだろう。しかし一方で、それをITで実現しようとすると困難を伴うことも、多くの人が認識していることだ。明文化できる形式知ならまだしも、言葉で表しにくい暗黙知をITに乗っけようとデータ化するのは至難の技である。

 数年前の話になるが、トヨタケーラムの取締役の方によるナレッジマネジメントシステムの講演を聞きに行ったことがある。同社のソフト「指南車」は、熟練設計者の暗黙知を抽出して、若手の設計者に伝承することを目的としている。熟練設計者の細かい設計技法をデータ化してCADシステムに紐付けると、若手はCADを使いながらいつでも熟練者のナレッジを参照できるようになる。

 面白いことに「指南車」は、単にケースに応じて使用すべきパラメータや数式を登録するだけではなく、「『なぜ』このケースではこのパラメータや数式を使うのか?」といった、設計者の「意図」も蓄積するようにデザインされている。講演を聞いた時は、「ナレッジマネジメントシステムで、ここまで機能が充実しているものがあるんだなぁー」と妙に感銘を受けた。

 ただ、今振り返ってみると、CADを用いた設計のナレッジは、もともとデータ操作に関するものが多いため、その意味でITと親和性が高い類のナレッジであるとも考えられる。それに比べると、製造現場の加工技術や医師の診断・治療技術のように肌で覚える技術、営業担当者・顧客サービス担当など顧客接点で働く人々に求められるヒューマンスキルなどは、やはりITで表現しにくい(過去の記事「提案書のナレッジマネジメントシステムはなぜうまくいかないか?」を参照)。

 ドロシー・レオナルドの『経験知を伝える技術』は、本当に重要なナレッジはITで伝達できないことを暗に示している。同書の中にはシステムの話が一切出てこない。著者が注目しているのは、むしろ徒弟制度のような泥臭いものだ。ナレッジ共有の本質は、やはり生身の人間同士のやりとりにあることを教えてくれる1冊である。
 ディープスマートは、その人の直接の経験に立脚し、暗黙の知識に基づく洞察を生み出し、その人の信念と社会的影響により形づくられる強力な専門知識だ。それは、数ある知恵のなかで最も深い知恵である。ディープスマートは、個々の情報よりノウハウに基礎を置く。複雑な相関関係を把握してシステム全体の把握に基づく専門的な判断を迅速に下し、必要に応じてシステムの細部にも踏み込んで把握できる能力である。
 ディープスマートは練習により築かれる。ただし、単純な繰り返しでは効果がない。よく考えられた練習とは、スキルの反復練習に省察と計画性を加えたものだ。指導のもとでの練習は、学習者が自分のパフォーマンスを振り返るのを助け、フィードバックを受けられるようにする。(中略)コーチの指導のもとでよく考えられた練習をおこなえば、このプロセスを正確に、効果的におこなえる。知識コーチは、学習者自身が思いもよらなかったスキルを習得する必要性を見いだし、経験の分布のギャップを埋めるための練習を促し、建設的なフィードバックをおこなって、将来の練習を導くことができる。(※太字は私がつけた)
 学習者はよき知識コーチの下で、よく考えられた練習や指導を受ければ、知識コーチのディープスマートを享受することができるというわけだ。ここで、「よく考えられた練習や指導とは何ぞや?」ということになるが、要はコーチが学習者と作業をともにしながら、随時アドバイスやフィードバックを与えることである。この点で、結局のところナレッジの伝達は、泥臭いコミュニケーションなのだ。

 著者のディープスマートの概念に関して1つ違和感があるのは、熟練者は伝えるべきディープスマートを頭の中に既に持っていて、それを徒弟制度のようなメカニズムを通して学習者に移転する、という一方通行の認知モデルを前提にしていることだ。タイトルが『経験知を"伝える"技術』となっているように、ナレッジの「伝達」がテーマであるから一方通行の流れだけを論じているのかもしれないが、これは次の2つの点で現実と異なる気がする。

 まず第一に、熟練者は最初から自分のディープスマートを意識しているわけではない。別の言い方をすると、熟練者が伝えようとしているディープスマートは、最初から明確にこういうものだと意識できるわけではない(暗黙知としてのディープスマートは、その定義からしてそもそも無意識の下に存在するものである)。

 熟練者は、学習者の仕事ぶりを見たり、学習者からの質問を受けたりする過程で、自分の記憶や経験を探索し、ディープスマートを再構築している。すなわち、ディープスマートは熟練者と学習者の「共同作業」によって生み出されているのである。

 そしてもう1つは、「伝達」に絞ってしまうと、新しい知識を創造する可能性が排除されてしまう点である。例えば、20年前からシステム開発をしているベテランSEのAさんと、経験がまだ5年程度しかない若手プログラマのBさんがいるとする。Aさんが社会人になった頃は、コンピュータのメモリ容量が非常に小さかった。そのため、メモリを必要以上に消費しない簡潔なプログラムを書くように先輩から叩き込まれた。

 一方、コンピュータが飛躍的に進歩した時代に社会人になったBさんにとって、コンピュータのメモリ容量は制約条件ではなくなっている。むしろ、ぎりぎりの開発スケジュールの中で、とにかく動くプログラムを早く開発することが求められている。Aさんから見れば、Bさんのプログラムは冗長であり、手を加えたいところが山ほどある。

 この2人の間では、ディープスマートの「伝達」は起こらないだろう。メモリの容量に関するナレッジはもはや意味をなさなくなっているからだ。だが、違った切り口から考えてみると、例えばAさんが持っている「簡潔なプログラムを書く」ノウハウを基盤として、「システムの運用・保守を容易にするような、可読性の高いプログラムの書き方」といった新しいナレッジを2人で「共創」する可能性は十分にあるのではないだろうか?残念ながら、本書からはこのようなナレッジの「共創」を読み取ることはできない。
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