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July 02, 2010

ピーター・センゲのU理論を再解釈してみた(2)−『出現する未来』

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P. センゲ
講談社
2006-05-30
おすすめ平均:
ありのままを見つめて、その場と一体になる事で思い描いた未来が現れる
壮大な考え方に触れる本です。
リーダーとしての新しいあり方。忙しい人ほど内省が求められる。
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 (前回からの続き)

(4)自分の価値観への目覚め
 自分が被っていた「かりそめの価値観」を捨て去った時、本当に自分が大切にしている(大切にすべき)価値観にめぐり会うことができる。「自分らしい価値観」がなぜ重要なのかについては、過去の記事「なぜリーダーにはリーダー固有の「価値観」が必要なのか?」で触れた。自分らしい価値観は、今まで自分が見ていた世界とは違う世界を見せてくれるレンズの役割を果たす。

 同書では、自分らしい価値観のことを「内なる知」とも呼んでいる。「内なる知」は心臓からやってくる。そして、心臓を通じて、自己は全体の統一されたイメージと深く結びつくという。同書によると、チベット仏教には「心と世界は不可分である」という考え方があるそうだ。この辺りはまさに、ボームが言うところの「内蔵秩序」との関連が明確に見て取れる。

 渋沢栄一は、一橋(徳川)慶喜や西郷隆盛との出会いなどを通じて、自分が執着していた「尊王攘夷」という価値観を捨てた。自分では重要だと思っていたが、教条的で中身がないことに気づいたのだ。代わりに、諸外国の先進的な文明をもっと積極的に学びたいという意欲が強くなっていく。そしてその思いは、偶々訪れたフランス留学のチャンスによって結実するのである。渋沢はフランスの先進的な経済の仕組み、社会制度、政治、公共インフラ、生活習慣などをくまなく記録し、日本に持ち帰った。

 「『内なる知』が全体の統一されたイメージと深く結びつく」という点については、共著者であるC・オットー・シャーマ自身が生家を火事で失った時の体験談が理解を助けてくれる。
 その瞬間、時間が完全に止まった。そして僕は、肉体から離れて上の方に引っ張られ、全体の光景をそこから眺め始めたんだ。意識が広がり、これ以上ないほど明晰になった。ほんとうの自分は、焼け跡でくすぶっている夥しいモノとは繋がっているわけではない。突如として悟ったんだ。ほんとうの自分は、それでも生きている。今まで以上に、生気が漲り、明晰になり、今という瞬間に存在していた。その時はっきりとわかった。長年愛着を感じていたものは、自分では気づいていなかったが、じつは重荷になっていたのだと。何もかも失くしたその瞬間、突如として解き放たれ、別の自分に出会える気がした。その自分が僕を未来に−僕の未来に連れて行ってくれた。自分が生きることで実現する世界へと連れて行ってくれたんだ。
(5)自分の使命の発見
 自分が本当に大切にしたい価値観=「内なる知」に気づいた後は、それをさらに高次のレベルに昇華させる段階へと移る。著者は、スタンフォード大学のマイケル・レイの言葉を紹介している。
 マイケル・レイは、自己の感覚の転換こそ、創造的活動の核心だと考えている。学生を創造性の深い源(ソース)に繋げるのに、手がかりとなる質問がふたつあるという。「自己とは何か」、「自分の使命とは何か」である。レイは言う。「ここで言う自己とは、高次の自己であり、内にある神性であり、未来の最高の可能性のことである。そして、『自分の使命とは何か』という問いで、自分の存在意義、生きる意味を聞いているのである」
 非常に逆説的だが、自分の使命を悟るためには、「自己を手放す」必要があると著者は指摘する。
 己を手放す能力を磨くことで、出現するものに心が開かれ、仏教や瞑想でいう「無執着」が身につく。仏教では、微妙な心の執着を表すサンスクリット語がふたつある。「ヴィタルカ」と「ヴィチャーラ」である。「ヴィタルカ」は、「求めている状態」で、自分が実現しようとすることに執着している。「ヴィチャーラ」は、「見ている」状態で、自ら何かを実現しようとするわけではないが、望む結果に執着している。どちらの状態でも、心の執着によって、いま目の前で起きていることの別の面が見えなくなったり、抵抗したりする。「ヴィタルカ」や「ヴィチャーラ」の罠を克服するには、たえず、己を手放すことが必要なのである。
 さらに、自己を手放すことによって、他者との関係も変わるという。この状態は、オートポイエーシス理論を提唱した認知科学者フランシスコ・ヴァレラの言葉を借りて次のように表現される。
 「自己が主体であるという感覚が脆くなるほど、共感性が増し・・・他者を受け入れ、気遣う余裕が生まれる」。自己が中心から遠ざかると、「他者が近くなる。連帯感、共感、慈しみ、愛−共にいることのあらゆる感情が、自分が周辺に退いた時に現れる。私にとって、今この瞬間が宇宙からの大切な贈り物だと感じられる。頑ななわけでもなく、内にこもっているわけでもなく、中心にいるわけでもなく、本来の姿になれる。・・・あなたがいて私がいる。私だけではない。われわれのなかに『私たち』がある」。
 この段階に至ると、主体と客体、自己と他者という二元論的な区別は全て意味を失い、「全体が部分となり、部分が全体となる」という、ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」で描かれた世界が出現する。自己の使命は、自ら能動的に発見するというよりも(それだと、自己を手放したことにならず、執着の罠にはまっていることになる)、「時間と空間を超越した全体が自然と教えてくれる」と言った方がよさそうだ。

(6)目的の結晶化
 ここからは、U理論の底から右上へと這い上がる段階に入る。私個人の印象としては、(5)まではかなり理解するのが難しいが、(6)からは比較的我々になじみのある変革アプローチとなっている。

 目的の結晶化とは、別の表現を使えばビジョンの明確化である(過去の記事「ビジョンを構成する要素とは一体何なのだろうか?」ではビジョンの一要素として目的を位置づけたが、同書では「目的」と「ビジョン」が特に区別されているわけではなさそうだ)。ここで重要なのは、「個人の意思の力」である。プロセス(5)までで、私が自己の「内なる知」に気づき、「使命」を悟ったのと同じように、他のメンバーもまた「内なる知」と「使命」を発見している。しかも、私と他者は別々の存在ではなく、一体不可分の関係となっている。

 あとは、各々の使命を結びつけて結晶化し、意思という名の情熱を注ぎ込めば、ビジョンは自然と生まれる。細かいことだが、ビジョンは「作る」のではなく、「生まれる」のである。ビジョンは個人の意思から出発しているが、熱意に満ちたビジョンは個人のレベルを超越して多くの人々を惹きつける力がある。

(7)小宇宙(プロトタイプ)の形成
 いっぺんに変革を実現するのは難しい。まずはビジョンに賛同する少数のメンバーから順番にスタートするのが現実的だ。この時点での少数のメンバーが「小宇宙」である。最後のプロセスで完成する新しい未来=統合された宇宙の縮小版ということで、「小宇宙」という呼び方をしていると思われる。小宇宙は新しい未来の実験版(プロトタイプ)でもあり、ここでは様々な新しいアイデアが試される。

 この考え方は、ジョン・コッターの「変革の8プロセス」とも共通する点がある。コッターの変革型リーダーシップでも、初期の段階で少数のメンバーから構成されるチームを作り、そこで新しいビジョンや戦略を練る。そして、それらを少しずつ全社に浸透させていくアプローチをとる。

 ただし、変革型リーダーシップとU理論の大きな違いは、前者においては初期のチームが経営層に近い場所で形成され、トップダウンで変革が進められるのに対し、後者は草の根的に小宇宙が数多く自生する点にある。特に、若者や女性といった、どちらかというと従来のマネジメントではマイノリティ扱いを受けていた人々がビジョンの推進役になることが多いと同書では述べられている。

(8)新しい世界の出現
 草の根的に自生した多数の小宇宙は、変革への懐疑派や反対派、変革に無関心な中間層の取り込みを図る。彼らとのダイアローグを通じて、彼ら自身にも(1)から(6)のプロセスを体感してもらい、小宇宙のメンバーになってもらう。こうした地道な活動の果てに、拡大した小宇宙同士がつながり合って、新しい未来が出現するのである。

 デビッド・ボームのダイアローグを4つのプロセスで整理するのも疲れたが、U理論の説明はさらに骨の折れる作業だった(汗)。次回は、U理論が抱えていると思われる問題点を整理して、同書のレビューの最終回にしたいと思う。

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