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June 17, 2010

「渋沢流儒学」とも言うべき1冊(1)−『論語と算盤』

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澁沢 栄一
国書刊行会
1985-10-01
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ビジネスマンの正義
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 以前の記事「論語を経営学の次元に高めた渋沢栄一−『論語の経営学(DHBR2009年10月号)』」で紹介した1冊。「私は論語で経営をしてやる」とまで言い切り、生涯論語を手放さなかった渋沢の思想がぎっしりと詰まっている。古典的な解釈にとらわれない渋沢流の解釈が随所に散りばめられており、「日本資本主義の父」がいかにして中国最高の古典である『論語』を当時の最先端のイデオロギーである「資本主義」に活かしていったのかが解る。以下に、論語に対する渋沢の特徴的な考え方を5点ほど整理してみたいと思う。

(1)仁義道徳と利益は両立可能
 渋沢の主張で最も重要なポイントはこれだろう。明治維新後、欧米から様々な新しい技術が入ってくるようになると、菅原道真が唱えたとされる「和魂漢才」を文字って「和魂洋才」という言葉が生まれた。日本人が歴史の中で脈々と受け継いできた精神の上に諸外国の技術を構築することで、新しい日本文明の発展を狙った言葉である。

 渋沢は「和魂洋才」をさらに文字って、「士魂商才」という言葉を作り出した。これは、武士の精神に則って商売を展開しようという意味である。武士の精神とは「武士道」のことであり、その起源は仏教や神教、そして儒教に遡ることができる。渋沢はその中でもとりわけ儒教の重要性に着目したというわけだ。

 渋沢も若い頃は、世の中に吹き荒れる尊皇攘夷の風に影響されて、教条的に攘夷を掲げていた時期があった。しかし、一橋家への仕官やフランス留学を経て、今の日本の国力では諸外国に立ち向かうことは到底できないこと、そして日本が欧米列強と肩を並べるには産業による富国が必要であることを悟る。

 ただし、江戸時代までは「金儲けは卑しいこと」と看做されており、士農工商という言葉からも解かるように、商人の地位は著しく低いものであった。武士は階級社会の一番上に君臨して、ただ武士道を追求すればよい。そういう時代であった。江戸幕府が260年もの長きに渡って安定した政権を維持できたのには、権力ある者(=武士)に富が集中しないようにするこの身分制度に負うところが大きいという指摘もあるようだが、渋沢は権力と富の分離によって産業が発達しなかったことが、諸外国に100年分の遅れを取ることになった要因であると主張している。

 さて、四民平等により、誰もが産業を興せる自由な時代が到来した。とはいえ、それまで長年に渡って卑下されてきた金儲けのことである。もし仮に人間が私利私欲のままに金儲けに走ってしまうと、社会が混乱してしまい、産声を上げたばかりの明治政府では対応しきれないだろう。渋沢は『論語』に、資本主義の暴走に対する抑止力の働きを期待したのである。
 論語の中に「富と貴きとはこれ人の欲する所なり、其の道を以てせずして之を得れば処(お)らざるなり、貧と賤とはこれ人の悪(にく)む所なり、その道を以てせずして之を得れば去らざるなり」という句がある、この言葉はいかにも言裡に富貴を軽んじたところがあるようにも思われるが、実は側面から説かれたもので、仔細に考えて見れば、富貴を賤しんだところは一つもない、その主旨は富貴に淫するものを戒められたまでで、これをもってただちに孔子は富貴を厭悪したとすれば、誤謬もまた甚しと言はなければならぬ、孔子の言わんと欲する所は、道理を持った富貴でなければむしろ貧賤の方がよいが、もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならばあえて差支えないとの意である
 「正しい道理」とは言うまでもなく儒教の教えのことであり、その中核には「仁義道徳」の精神がある。渋沢は同書の中で、しつこいぐらいに「仁義道徳」と「利益」の両立を説いている。

(2)適材適所による富国の実現
 儒教は元々消極的な現世主義の色合いが強い。「罪を天に獲(う)れば、祷るところなし」(無理な真似をして不自然の行動に出ると必ず悪い結果を招くことになり、その結果はどんなに祈っても消し去ることができない、つまりどんな人間でも天命に逆らうことはできないという意味)、「心の欲する所にしたがって矩を踰えず」(心の赴くままに分に安じて進めば、道理を外すことはない)などという文章からは、自らの本分を外さずに慎ましく生きる現実的な処世術がうかがえる。神戸大学大学院の加護野忠男教授は、和辻哲郎の『孔子』の内容を踏まえて次のように述べていることは以前も紹介した。
 現世における人の道(人倫)にこそ意義があるというのが、孔子の説教の特徴であり、それが儒教の精神として後世に受け継がれていった。現世を肯定する孔子にとって、革新は不要であった。他の三聖人(※和辻哲郎は釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの4人を「世界の四聖」と呼んでいる)のような、時代の革新者としての側面が弱いのは、そのためであると、和辻は指摘する。
 だが、渋沢は「分をわきまえる」という言葉を積極的な意味で解釈した。つまり、「適材適所」である。それぞれの人間の分に合ったポジションを与えることで彼らの能力を最大限に引き出し、富国を実現しようとしたのだ。渋沢は、徳川家康こそが最も適材適所の術に優れた人物であると最大限の賛辞を送っており、自らも適材適所の実現に並々ならぬエネルギーを注いでいたことが記されている。
 私の素志は適所に適材を得ることに存するのである、適材の適所に処して、しかしてなんらかの成績を挙げることは、これその人の国家社会に貢献する本来の道であって、やがてまたそれが渋沢の国家社会に貢献する道となるのである、私はこの信念の下に人物を待つのである
 「人物を待つ」という言葉は、さらっと書かれているが実に深い意味を持っている。中国には「周公三たび哺(ほ)を吐き、沛公三たび髪を梳(くしけず)る」という言葉がある(渋沢も同書で紹介している)。周公は孔子が聖人と崇めるほどの人物であり、どんな人が訪問してきても食事を中断して必ず面会したと言われる。また、沛公とは漢の高祖のことであり、髪を整えている最中にどんな客が訪ねてきても、必ずその人に会ったと伝えられている。つまり、周公も沛公も、適材を探すために時間を惜しまなかったのである。

 渋沢もこの言葉を実践し、数多くの事業に携わる忙しい身でありながら、誰かが尋ねてくれば必ず話を聞くようにしていたそうだ。中には金を貸してくれだの職をあてがってくれだのといったろくでもない頼みごともあったようだが、それでも必ず話は聞いた。渋沢は適材をずっと「待って」いたのである。

 (記事が長くなったので分割します。その2へ続く)
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