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June 07, 2010

ダイアローグの4プロセスを整理してみた−『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』

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デヴィッド・ボーム
英治出版
2007-10-02
おすすめ平均:
私にとっては、読むのがしんどかったです。
傾聴する対話を通じて創造する
内容が難しかった。(自分の知的レベルが低いのかも)
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 前回の記事「『思考』によって分断された世界を『対話』を通じて調和する−『ダイアローグ−対立から共生へ、議論から対話へ』」では、我々の「思考」そのものが社会を分断し、あらゆる「問題」を引き起こしていること、そしてバラバラになった世界観を1つにつなげ、我々の意識を「内蔵秩序」の段階へと引き上げるためにダイアローグ(対話)が必要であることを見てきた。今回はダイアローグの具体的なプロセスを整理してみる。

 ダイアローグについては同書の第2章に詳しく書かれているが、「学習する組織」で知られるピーター・センゲの著書において「ダイアローグの4ステップ」という形できれいにまとめられているので、そちらの文章を引用したいと思う。

ピーター・センゲ
日本経済新聞社
2003-09-19
おすすめ平均:
組織論
実践の一歩手前
複雑怪奇な集合体の”ツボ”に、大きなハリを5本
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フェーズ1.「器」の不安定
 前回の記事でも述べたように、ダイアローグは特に決まったテーマも課題も設定せずに始まる。「器」の中には、様々な価値観を持ったメンバーが集まっている。メンバーはお互いがどのような人物で、どのような考え方の持ち主なのかを見定めようとする。まずこの段階で、ダイアローグは最初の転機に直面する。
 メンバーは次第に、自分がひとつの選択肢をもっていることに気づくようになる。つまり、進んで自分の考えを心の中で”目の前に吊り下げて”おく(保留する)ことができるようになる。それは、自分の意見も含めたあらゆる見方にまとわりついている「こういうものだ」という思い込みを緩めることである。

 メンバーは、自分たちが習慣的に行ってきたこと、その行動のもとになっている「仮説」を客観的に観察できるようになる。また、対立も含めて、「場」の中で起こるすべての状況を生み出している「思いと感情のプロセス」に対しても疑問をもてるようになる。そして、器の中の拡散や混乱や不安定さに対して「なぜこうなったのか見てみよう」という言葉が、グループをダイアログ(※センゲの本では「ダイアログ」と表記されている)へと導いていくのである。
 メンバーは、表面的な言動の裏に隠された真の「自分」を皆の前にさらけ出し、お互いが皆「異なる存在」であることを認識する。そして、その違いをじっくりと眺めることが第一のステップとなる。

フェーズ2.「器」の中の不安定
 混沌を受け入れることを選択したグループは、「見解の保留」とそれぞれの見方についての話し合いとの間を行ったり来たりするようになる。メンバーはこの段階でフラストレーションを感じるかもしれないが、それは多くの場合、自分たちの心の中にあるバラバラで不整合なものが見えてくるからである。
 お互いの存在を受容すればするほど、お互いの違いが際立って見えるようになる。これは耐え難い苦痛である。我々の思考は、矛盾するものや相反するものを何とかつなぎ合わせて、論理的に理解可能な形に仕立て上げようとするクセがある。ダイアローグの第2フェーズは、明らかに人間の性向に反している。このような状態が続くと、やがて「保留の危機」が訪れる。
 (メンバー内から)極端な意見が出てきて、防御の反応が現れる。このような”熱”や不安定さは苦しいものに感じられるが、それはまさに起こるべくして起きていることであり、それまで隠されていた心の中の矛盾が現れてきたのである。
フェーズ3.「器」の中での探求
 「保留の危機」のままで立ち止まっていては、グループは崩壊し、メンバーは喧嘩別れで終わってしまう。感情の赴くままに発言したり、反射的に不機嫌な態度をとったりするのではなく、ここは一呼吸置いて、「今のこのチーム状態は何を意味しているのか?」と内省する必要がある。すると、ダイアローグは新しい局面へと突入する。
 メンバーは冷静な状態で、一緒に探求を行うようになる。また、対話がグループ全員に影響を及ぼすことに敏感になり、しばしば新しい見方も生まれてくる。

 このフェーズは、遊びや深い洞察に満ちたものにもなりうると同時に、もうひとつの転機につながっていく。メンバーはだんだんと自分が孤立していることを意識するようになる。そのような感覚は、使ったことがない頭や感覚を使うことによって起こる筋肉痛のような苦痛を伴うものである。
 「筋肉痛」という表現はイメージが沸きやすい。フェーズ3は、各々のメンバーが今まで抱いていた価値観に、新たな考え方が上書きされる段階である。今まで感じたことも考えたこともない新しい仮説が、精神の中にすっと入り込んでくる。使い慣れない仮説に最初は戸惑い、精神が筋肉痛を起こすという訳だ。

 だが、この段階ではメンバーは一体になりかけているようで、未だ孤独な存在にとどまっている。メンバーが意識のレベルで内蔵秩序という統一された全体性にたどり着くためには、もう少し探求を続けなければならない。

フェーズ4.「器」の中での創造
 ここで生まれる理解はとてもデリケートで、なかなか言葉にしにくく、メンバーは沈黙に陥ることもある。しかし、それは空虚なものではなく、ひじょうに充実した豊かな沈黙になるだろう。

 言葉に言い表すことができなくなる一方で、言葉が生まれてくる可能性もある。単に意味を示すだけの言葉の代わりに、意味そのものを実感できる言葉が語られるようになるのである。

 私(※共著者であるウィリアム・アイザックス)それを、”意味が一緒に流れる”という意味で「メタローグ」と呼んでいる。会話の内容ではなく、話し合いをしているグループ自体が意味をもつようになる。このようなやりとりによって、参加者は今までにない能力や創造性を発揮することが可能になる。

 それにしても、ダイアローグについて3回に渡って記事を書いてきた私の精神も筋肉痛を起こしそうだ。解るようで解らないもどかしさ。平易なようで抽象的な内容。ディスカッションに慣れすぎた我々にとって、ダイアローグとは非常にとらえどころのない概念である。これまで述べてきたような感覚は、ダイアローグを実際にやってみないと、きっと永遠に感じ取れないのかもしれない。

 個人的にはフェーズ2までは何となく解る。だが、フェーズ3からが難しい。なぜ、分断化されたメンバーが探求を続けると、新たな考え方に到達することができるのか?その考え方は一体どこから生まれてくるのか?内蔵秩序が自然と教えてくれるとでもいうのか?

 この辺になってくると、もはや宗教との境目が見えなくなる。禅の世界にはこれに近い考え方がある。そもそも、「禅」という単語そのものが、「言語による表現領域を超えた思想の領域へ、瞑想をもって到達しようとする人間の努力」を意味している。座禅や瞑想は、あらゆる事象の根底にある「絶対」を悟り、自らとその「絶対」を調和させる営みである。その調和に成功した時、人は世俗的な考え方を超越した新たな存在に生まれ変わるとされる。

 宗教上の話なら「それを信じるか否か」で片付けられるが、ダイアローグは実践的なコミュニケーションである。ダイアローグを企業の経営や非営利組織の運営、政治や行政に適用するならば、もっと実践的な方法を生み出さなければ、人々に浸透させるのは難しいだろう。

 もう1つ解らないのは、何といっても最後のフェーズである。なぜ、内蔵秩序のレベルに達することで、人間は創造的になることができるのだろうか?内蔵秩序は我々に何を教えてくれるというのだろうか?探索と内省を続ければ、自ずと答えは見えてくるというのでは、何とも説得力に乏しい。

 しかも、フェーズ4においては、お互いの見解が合致する必要はないとボームは述べている。見解を合致させるのではなく、意味を共有することが重要であるというのだ。表面的な意見は食い違ったままで、深層の意味レベルにおいて共有意識を持つとは果たしてどういう状態なのだろうか?さらに、メンバー間の意味の共有が、なぜ各人の行動までを変化させられるのだろうか?

 いやはや、ダイアローグは解らないことだらけだ。でも、これが最近のリーダーシップ論のカギを握っているのだから、時間をかけてじっくりと探求していくことにしよう。

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