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April 19, 2010

入社後3年目までのキャリア開発−仕事の仕組みを知り、自分の得手・不得手を見極める

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 最初の仕事はくじ引きである。最初から適した仕事につく確率は高くない。得るべきところを知り、向いた仕事に移れるようになるには数年を要する。
 ピーター・ドラッカーの名言集『仕事の哲学』には、こんな言葉が出てくる。ドラッカーのキャリアのスタートは、経営学者ではない。確か証券アナリストだったはずだ。しかも、第1次世界大戦で中高年の労働力が多く失われていたため、若いドラッカーでもそこそこ高いポジションに就くことができた。

 ところが、ドラッカーが「株式市場はこれから上がる」という予測レポートを出した直後に株価が暴落してしまう。これをきっかけに、数値で未来を予測することがいかに危険であるかを痛感し、証券アナリストとしてのキャリアを諦めてしまう。その後はしばらく政治ジャーナリストとして活動し、政財界での人脈を構築する一方、29歳の若さで『経済人の終わり』を発表する。それでもドラッカーは、自分のキャリアに満足していたわけではなさそうだ。あるインタビューで「自分が本当に向いていると思う仕事に就けたのは30歳を過ぎたあたりからだ」といった内容の発言をしている。(※1)

 自分の特性や運命に気づくまでもっと長い時間を要した人物もいる。大正から昭和初期にかけて活躍した政治家で、逓信大臣、内務大臣、外務大臣と3つの大臣ポストを務めた後藤新平がその1人だ。彼のキャリアはドラッカー以上に複雑である。最初は医者としてスタートしたが、その後内務省衛生局に入って官僚となり、医療・衛生関連の行政に携わる。さらに、台湾総督府民政長官、拓殖大学学長を経て、40歳を過ぎたあたりからようやく自分が政治家として適性があることを悟り、国政の舞台を目指した。(※2)

 若いうちに抱いていた夢や希望をそのまま貫き通すことができる人間は皆無に近いと思う。私自身の個人的な話で恐縮だが、私は20歳の頃までは弁護士になるのが夢であった。だが、就職活動ではIT業界を回り、入社後は「30代前半までには、比較的大きな案件を回せるプロジェクトマネジャーになりたい」と思っていた。ところが、今はとあるベンチャー企業で、時に組織変革や人材育成に関わるコンサルティングを行い、時に教育研修の企画・プログラム開発をし、さらには会社のマーケティング業務も兼務している。30歳近くになった今の自分を20歳の時の自分が見たら、「おい、一体どうしてそんな仕事をすることになってしまったんだ?」と疑問を呈するに違いない。

 「『動機』の構造を自分なりにまとめてみた−『"働く"をじっくりみつめなおすための18の講義』」という記事で、「外発的動機づけ要因」と「内発的動機づけ要因」について、こんな図を描いてみた(ちょっとだけ言い訳をすると、まだこの図は完成度が低いので、ブラッシュアップする予定である)。

動機づけ要因の構造

 就職活動では徹底的に自己分析をし、自分がやりたいことを見極めるのが大事と言われる。そして面接官も、「あなたはわが社に入って何をしたいですか?」と志望動機を聞く。学生・面接官ともに、「内発的動機」に注目しているわけだ。

 だが、たかだか20年ちょっとしか生きていない学生が、社会に関する生の情報をほとんど何も与えられていない状態で、自分の興味や関心を明確にするのはどうしても限界がある。また、採用する側も、面接では「何がしたい?」と前向きに聞いておきながら、いざ採用して配属の段階になると、新人の希望通りにはならないことぐらい解っているものである。

 私は、どうせ新人は自分の希望が通らないのだから、自己分析などしてもムダだと言いたいのではない。自己分析はやった方がいいに決まっている。ドラッカーや後藤新平の時代とは違い、今は結果を求められるまでの期間が短くなっている。自己分析は、他者よりも秀でた能力や、他者よりも強い関心を寄せる事柄を発見し、それらを土台として活躍のフィールドを広げるために欠かせないツールである。

 しかし、学生時代の自己分析の結果に固執しすぎない方がよい。別の言い方をすれば、「内発的動機」にあまりとらわれすぎてはいけない。特に入社して3年目ぐらい(20代半ば)まではそうだ。むしろ、「外発的動機」ときちんと向き合った方が、その後のキャリアにプラスになると考える。

 図中では、「外発的動機づけ要因」として、【1】「指揮命令などによる合理性」、【2】「職場環境の魅力(特に、職場内の人間関係)」、【3】「賞罰・承認・評価」の3つを挙げている。入社5年目ぐらいまでは、本人はやや辛い思いをするかもしれないが、外発的動機づけ要因に「振り回される」ぐらいの方がちょうどいいのではないかと思う。

 上司から依頼された仕事について、「なぜこの仕事が必要なのか」、「誰がどういう目的でこの仕事を必要としているのか」について、上司からきちんと説明を受けたり、自分で考えてみたりする(【1】「指揮命令などによる合理性」)。また、職場の人間とはどういう人づき合いをすればよいのか、接しにくい人がいた場合にどうすればよいのかを学ぶ(【2】職場環境の魅力)。さらに、どのような成果を上げると評価され、逆に何をすると叱られ罰せられるのかを敏感にキャッチする(【3】賞罰・承認・評価)。

 端的に言えば、若いうちは「外発的動機づけ要因」に注目することで、会社や仕事の仕組みを理解することに時間を費やした方がよい。ここで意地を張って「自分はこれがやりたいんです!だから異動させてください」などと主張しても、「お前はまだ何も成果を出していないだろう?自分の権利ばかり主張する前に、まずは責任を果たしなさい」、「そんなにやりたいことがあるなら、自分で会社を興せばいい」と言い返されるのがオチだ。そうなると、かえって成長のチャンスを踏み潰すことになりかねない。

 「外発的動機」にいい意味で翻弄されると、いろんな仕事や人に接する機会が増える。様々な業務をこなし、様々な人からポジティブなものもネガティブなものも含めていろんな評価を受けることで、就職活動時には見えなかった自分の得意領域や、面白いと感じる仕事がおぼろげながら見えてくるようになる。おぼろげではあるが、就職活動の時の甘い自己分析に比べれば、格段に精度が上がっている。そうなったら、4年目ぐらいから自分の得意分野に少しずつ手を伸ばし、本当にやりたいことを主張していけばよい。それが、会社という組織の中で、キャリアの初期ステージを首尾よく進んでいくための術だと思うのである。

 若手のキャリア開発に関して、大いに参考になる人物がいる。戦国時代の藤堂高虎だ。歴史家の加来耕三氏は、彼を「出世の名人」と呼んでいる。特段の教養を持たず、字もろくに読めなかった人物だったが、最終的には32万石超の太守となった。まさに大出世である。

 浅井長政の下で名を挙げることに失敗し、秀吉の弟・秀長に仕えることになった高虎は、他の侍大将とは異なり、常に柔軟に目前の与えられた職務を積極的に果たしたところに特徴があった。高虎はもともと槍の名手であったがそれに執着せず、銃隊を預けられればこれに熟達しようと努力し、仕分けの帳簿の整理を命じられればその方法を必死で習得し、合戦の合間には築城術も勉強したという。

 この築城術で高虎の才能は開花する。高虎は秀長の数々の戦いで築城を任され、次々と成功を収める。これは兄・秀吉の天下統一を大きくアシストした。さらに、秀吉に代わって家康が天下を取ると、今度は家康が高虎の築城術を高く買い、大坂の陣では和歌山城など重要な城の竣工を高虎に任せている。家康の亡き後も、高虎は秀忠、家光に仕え、治国の要について積極的なアドバイスを行ったという。(※3)

 高虎は槍の名手だと思っていたが、秀長の下では秀長の命令に応えることを最優先した。「内発的動機」を殺して、「外発的動機」を優先させたのである。だが、秀長の期待に応えようと自分の強みを引っ込めたことが、逆説的ではあるが「築城術」という新たな強みを高虎に与えた。この築城術があったおかげで、高虎は江戸時代に入っても長く活躍することができたのである。高虎の生き方が、「俺様社員」や「シュガー社員」にとっていい教材になるといいのだが…。

(※1)該当する記述があった著書がぱっと思い出せないので、調べておきます。
(※2)松下幸之助『社長になる人に知っておいてほしいこと』(PHP総合研究所、2009年)
(※3)加来耕三「出世の達人 藤堂高虎」(『歴史に学ぶ』2009年9月-10月号、ダイヤモンド社)

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