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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
March 30, 2010

上司が無能でも部下が育つというパラドクスをどう考えるか?

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 上司の重要な仕事の1つに「部下育成」があるが、世の中には「上司が無能でも優秀な部下が育つ」という奇妙なパラドクスが存在するようだ。私の知人が先日、「うちの会社には『スーパーマネジャー』って呼ばれている人がいるんだよ」と自慢していたので理由を聞いたところ、「そのマネジャーがあまりにも仕事ができない分、部下が一生懸命頑張って仕事をするから、部下の方がものすごいスピードでスキルアップしていくんだ」ということだった。「スーパーマネジャー」という称号は、彼に対する皮肉である。

 最近、歴史をちょっと勉強し始めたので歴史からネタを拾ってみると、過去にも上司が無能だが部下が活躍したケースはいくつもあることが解った。

 中国の三国時代、蜀の名参謀と言われた諸葛孔明は、時の君主・劉備からこんな遺言を受けた。「息子の劉禅に才能があれば補佐してほしい。もしなければ、君が代わって君主になってくれ」 この遺言には2通りの見方があって、(1)孔明に対する劉備のゆるぎない信頼を表すものであるという見方と、(2)仮に劉禅に代わって孔明が君主になると、孔明を父と尊敬する劉禅を裏切ることになり、蜀漢の復興という孔明が掲げた大義名分を果たせなくなることから、この遺言は決して孔明が従うことのできない「乱命」であるという見方があるそうだ。

 いずれにせよ、劉禅は遊興や行幸にふけっており、君主としての能力がないことは明らかであった。だがそれでも、孔明は劉禅に敬意を表し続けた。魏の北伐に際して劉禅に捧げた「出師表」にも、劉禅に対する孔明の固い忠誠が見て取れる。孔明は劉禅の下で如何なくその才能を発揮し、任務を全うしたのである。(※1)

 日本に目を向けると、戦国時代に関が原の戦いで破れ、長州の外様大名に成り下がってしまった毛利一族は、幕末になって薩長と並ぶ倒幕勢力の一員となる。だが、当時の第13代藩主・毛利敬親は、尊皇佐幕両派の激突でクーデターめいた藩政変革が繰り返されてもその度に新政権を容認し、新政権派に対して旧政権派を「殺すなよ」と強く戒めるのが口癖だった。明確に意思決定ができない態度は、「そうせい候」とさげすまされた。

 しかし、毛利敬親の煮え切らない態度が皮肉にも臣下のエネルギーを増幅させ、明治維新を起こす原動力となった。廃藩置県が行われた際には、毛利本家のみならず分家からも数多くの公爵、子爵、男爵が輩出され、それぞれ裕福な生活を送ったという。(※2)

 では、2つの事例のその後はどうであったか?まず、蜀は魏に破れ、天下を取れなかった。孔明が亡くなった後、蜀は亡国の一途をたどっていった。その要因は複数あるだろうが、孔明が優秀すぎたが故に、孔明頼みの軍政運営になっていた可能性も否めないだろう。魏の曹操が各地の優秀な人材を血眼になってかき集めたのに比べると、蜀は慢性的に人材不足の状態であった。

 毛利一族も皆それなりに栄華を誇ったものの、昭和の大恐慌で第十五銀行が破綻するまで、誰一人として政界で活躍した人材がいない。薩長からは次々と優秀な人材が活躍の場を広げていったのとはまるで対照的である。

 一般的には、無能な上司は部下の能力を押し殺してしまう。身近な例を探せば、おそらくきりがないことだろう。1つだけ歴史を見てみると、第2次世界大戦の海軍は上層部が明確な意思決定できない人間ばかりだったようだ。及川古志郎海相は、毎年巨額の予算をもらっている以上、いまさら対米戦争には自信がないとは言えないと態度を曖昧にしていたし、及川の後を継いだ嶋田繁太郎海相も、「戦機を失するからと戦争をするのは愚の骨頂だ」と正論を主張していたのに、伏見宮からの強い意向を受けると、「おれは豹変するよ」と言って開戦を決意してしまう。(※3)

 だから、井上成美が三国同盟に異を唱え、山本五十六が対米戦争は勝ち目がないことを自らの実験で証明しても、強硬派に押し切られる形でアメリカとの開戦に踏み切ってしまった。「海軍善玉論」というのがあって、陸軍の暴走で対米戦争に突入してしまったという見方もあるが、海軍が完全な善玉だとは言い切れない節があるように感じる。

 稀に上司が無能であるにもかかわらず優秀な部下が育ったとしても、そのツケは後々回ってくるものだと思う。孔明と毛利一族の事例はそのことを示している。ビジネスの世界で考えると、優秀すぎる部下が上司に昇進した時、今度は自分が優秀すぎて下の者をうまく使えないという失敗に陥る可能性が想定される。やっぱり、「上司が無能でも部下が育つ」というパラドクスは、一時的なまやかしのようなもので、持続性はないと考えた方がよさそうだ。

(※1)渡邉義浩「『三国志』軍師学 最終回」(『歴史に学ぶ』2009年7月号)
(※2)会田雄次「毛利元就の遺訓」(『歴史に学ぶ』2009年9月-10月号)
(※3)秦郁彦他「『昭和の名将』No.1は誰か 第1回」(『Management & History 歴史の知をビジネスに活かす』2009年3月号)
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コメント

毛利敬親は別に無能じゃねぇよ、アホ乙

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