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January 17, 2010
模倣は他者の「やり方」を自分のものにすること、学習は他者の「問題」を自分のものにすること
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最近、いくつかの記事でナレッジマネジメントシステムに言及しているが、ナレッジマネジメントシステムやグループウェアを導入している企業の方と話をさせていただくと、必ずこんな話になる。
「提案書を作るスピードは確かに上がったのだが、前後のストーリーがつながっていない提案書が増えた」
「ただ単に資料をコピペして、案件内容に合わせてちょちょっと言葉を直しているだけだから、部下の考える力が落ちている気がする」
「さらにそのロジックの通っていない資料をまた誰かが流用してシステムに登録するから、余計に変な資料が増える一方だ」
こんな話を聞くたびに、私は『"働く"をじっくりみつめなおすための18講義』に書かれていたこんなエピソードを思い出す。
もちろん、模倣が絶対にダメだということでは決してない。学習が模倣から始まることを否定する人はいないだろう。子供は周囲の人間の言動を真似しながら成長していく。模倣を否定したら、人間の成長もありえないことになってしまう。しかし、模倣は学習の始まりにすぎないのであって、学習の全てではない。
トニー賞とエミー賞を受賞している名振付師であり、アメリカを代表するダンサーの一人、トゥイラ・サープは、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューのインタビューの中で、模倣と学習の違いについて次のように述べている。
1つ目は、他人が取り組んだ問題とそれに対して他人が導き出した解決策を、自分が直面しているケースでどう活かすかを徹底的に考えることである。そのためには他人の問題や解決策の前提を紐解き、自分のケースとどこが共通していて、どこが違うのかを明らかにしなければならない。
具体的に言えば、商談において誰かの提案書を参考にする際、クライアントの背景や状況を注意深く読み取り、提案者の問題提起から解決策導出に至るまでの思考プロセスの裏にある意図を追っていく必要がある。なぜ提案者はそれを問題だと捉えたのか?そしてなぜ提案者はその解決策を提示したのか?そうした行間を読む作業が、自分の置かれている状況との違いを浮き彫りにする。その違いを基に、自分のケースでは問題の定義を少し変えたり、解決策の中身をカスタマイズしたりする。そうすると、自分流の提案書が書けるようになり、新たな学習効果が生まれる。
2つ目は1つ目と関連するが、他人の問題解決の思考プロセスを読み解く時に、敢えて批判的な見方をするということである。例えば他人の資料を見て、ここは別の考え方ができるのではないか?自分ならこういう落とし所に持っていくのではないか?と角度を変えて検証してみる。
私が担当している研修で、受講者に同じ課題を与え、ある一定期間の間に1人1人がそれぞれ提案書を作成するという長丁場の研修がある。そして、最終日にもう一度受講者が集まり、各々が作成した提案書をプレゼンし合い、お互いに採点するというワークをやっている。同じ課題に取り組んだはずなのに、提案内容が見事にばらばらになるのがこの演習のミソである。お互いの多角的な分析の切り口が刺激になる上に、受講者は相手の採点をしなければならないから、自ずと批判的な思考が活性化される。だから、最終日のセッションではいろんなアドバイスが受講者間で飛び交う。このセッションは受講者の間でも割と評判が高い(自分で言うのも何だが…)。
3つ目は、問題や解決策の本質を見抜くということである。これはかなり難しいことだ。あるベストプラクティスが注目されると、その表面的な部分だけを真似してしまい、取り組みの本質的な部分が見過ごされることはよくある。私の先輩のコンサルタントが好んでする話で恐縮だが、80年代に日本の自動車メーカーがアメリカ市場で躍進を遂げた時に、アメリカ企業は揃ってトヨタのカンバン方式を取り入れようとした。
当時のカンバン方式は、それこそカンバンのような形をした帳票を手作業でやりとりする方式であった。つまり、後工程の仕掛在庫がなくなったら作業員が前工程に出向いてカンバンを手渡し、前工程はそのカンバン受領をもって生産を進める、という流れである。そのスタイルをそのままアメリカ企業は真似しようとした。
ところが、なまじっかIT化が進んでいたアメリカの工場では、手作業のカンバン方式を導入するとかえって効率性が落ちるという皮肉な結果を招いてしまった。結局、「日本企業は特殊だ」ということで片付けられてしまい、カンバン方式ブームは沈静化した。
それからしばらくした後、アメリカの学者が実際にトヨタの工場で数ヶ月間働き、カンバン方式の研究を行った。その結果彼らがたどり着いた結論は、カンバン方式の本質はカンバンという形式そのものにあるのではなく、後工程が前工程に必要な部品や材料に関するデータをきめ細かく、かつ素早くフィードバックする仕組みにある、というものであった。その発見をアメリカに持ち帰り、いくつかの企業で実践したところ、今度は成果を上げることができた。しかし、それらの工場を見渡してもカンバン自体は存在せず、一見しただけではカンバン方式が採用されているとは解らないという。
模倣は他者の「やり方」を自分のものにすること、学習は他者の「問題」を自分のものにすること−また1つ、大切にしたい教訓が増えたなぁ。
「提案書を作るスピードは確かに上がったのだが、前後のストーリーがつながっていない提案書が増えた」
「ただ単に資料をコピペして、案件内容に合わせてちょちょっと言葉を直しているだけだから、部下の考える力が落ちている気がする」
「さらにそのロジックの通っていない資料をまた誰かが流用してシステムに登録するから、余計に変な資料が増える一方だ」
こんな話を聞くたびに、私は『"働く"をじっくりみつめなおすための18講義』に書かれていたこんなエピソードを思い出す。
村山 昇 クロスメディアパブリッシング 2007-08 おすすめ平均: 結局、よく分かりませんでした 自身を見直す契機を与えてくれる 自分を見つめなおしたい時にには・・・ |
posted by Amazon360
私(=著者である村山昇氏)がかつてビジネス雑誌の記者だったころ、米国の有名なグラフィックデザイナーにインタビューで質問したことがあります。まー、なんとバッサリ斬ってしまうか、このデザイナーは(笑)。情報技術が進歩し、他人の知恵を拝借できる機会はぐっと増えたというのに、大半は単なる真似事に留まっていて、新たな創造にはつながっていないというのは残念なことだ。
廉価で高度なスペックを持ったパソコンが普及し、今や誰でもイラストや写真を自由に画像処理できる時代が来た。こうした技術は、人びとの創造性を増したか?
「いや、ヘタな絵が増えただけだ」、と。
情報量の増加や技術の進歩が、必ずしも人間の創造性や賢さを比例して増すものではないことはさまざまに語られています。
もちろん、模倣が絶対にダメだということでは決してない。学習が模倣から始まることを否定する人はいないだろう。子供は周囲の人間の言動を真似しながら成長していく。模倣を否定したら、人間の成長もありえないことになってしまう。しかし、模倣は学習の始まりにすぎないのであって、学習の全てではない。
トニー賞とエミー賞を受賞している名振付師であり、アメリカを代表するダンサーの一人、トゥイラ・サープは、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューのインタビューの中で、模倣と学習の違いについて次のように述べている。
posted by Amazon360
だれかの真似をすると自分らしさが失われるといったことは、私はまったく心配していません。真似をしない人なんて、いるのでしょうか。いないわけがありません。とにかく、私は気にしません。むしろ、それを生かして作品作りに励みたいと思っています。うまい表現だなーと思った。一方で、それこそ、私がトゥイラ・サープの言葉を模倣して終わりにしないよう、「ほかのだれかの問題を自分のものにする」とはどういう意味なのか、もう少し解釈が必要だとも思う。オーバーラップする部分もあるかもしれないが、私なりに3通りの解釈をしてみた。
ですが、真の学習とは模倣ではありません。こんな言い方ではわかりづらいですね。つまり、模倣とは、ほかのだれかのやり方を自分のものにすることで、一方学習とは、ほかのだれかの問題を自分のものにすることです。
(トゥイラ・サープ「創造は『心身の没頭』から生まれる」)
1つ目は、他人が取り組んだ問題とそれに対して他人が導き出した解決策を、自分が直面しているケースでどう活かすかを徹底的に考えることである。そのためには他人の問題や解決策の前提を紐解き、自分のケースとどこが共通していて、どこが違うのかを明らかにしなければならない。
具体的に言えば、商談において誰かの提案書を参考にする際、クライアントの背景や状況を注意深く読み取り、提案者の問題提起から解決策導出に至るまでの思考プロセスの裏にある意図を追っていく必要がある。なぜ提案者はそれを問題だと捉えたのか?そしてなぜ提案者はその解決策を提示したのか?そうした行間を読む作業が、自分の置かれている状況との違いを浮き彫りにする。その違いを基に、自分のケースでは問題の定義を少し変えたり、解決策の中身をカスタマイズしたりする。そうすると、自分流の提案書が書けるようになり、新たな学習効果が生まれる。
2つ目は1つ目と関連するが、他人の問題解決の思考プロセスを読み解く時に、敢えて批判的な見方をするということである。例えば他人の資料を見て、ここは別の考え方ができるのではないか?自分ならこういう落とし所に持っていくのではないか?と角度を変えて検証してみる。
私が担当している研修で、受講者に同じ課題を与え、ある一定期間の間に1人1人がそれぞれ提案書を作成するという長丁場の研修がある。そして、最終日にもう一度受講者が集まり、各々が作成した提案書をプレゼンし合い、お互いに採点するというワークをやっている。同じ課題に取り組んだはずなのに、提案内容が見事にばらばらになるのがこの演習のミソである。お互いの多角的な分析の切り口が刺激になる上に、受講者は相手の採点をしなければならないから、自ずと批判的な思考が活性化される。だから、最終日のセッションではいろんなアドバイスが受講者間で飛び交う。このセッションは受講者の間でも割と評判が高い(自分で言うのも何だが…)。
3つ目は、問題や解決策の本質を見抜くということである。これはかなり難しいことだ。あるベストプラクティスが注目されると、その表面的な部分だけを真似してしまい、取り組みの本質的な部分が見過ごされることはよくある。私の先輩のコンサルタントが好んでする話で恐縮だが、80年代に日本の自動車メーカーがアメリカ市場で躍進を遂げた時に、アメリカ企業は揃ってトヨタのカンバン方式を取り入れようとした。
当時のカンバン方式は、それこそカンバンのような形をした帳票を手作業でやりとりする方式であった。つまり、後工程の仕掛在庫がなくなったら作業員が前工程に出向いてカンバンを手渡し、前工程はそのカンバン受領をもって生産を進める、という流れである。そのスタイルをそのままアメリカ企業は真似しようとした。
ところが、なまじっかIT化が進んでいたアメリカの工場では、手作業のカンバン方式を導入するとかえって効率性が落ちるという皮肉な結果を招いてしまった。結局、「日本企業は特殊だ」ということで片付けられてしまい、カンバン方式ブームは沈静化した。
それからしばらくした後、アメリカの学者が実際にトヨタの工場で数ヶ月間働き、カンバン方式の研究を行った。その結果彼らがたどり着いた結論は、カンバン方式の本質はカンバンという形式そのものにあるのではなく、後工程が前工程に必要な部品や材料に関するデータをきめ細かく、かつ素早くフィードバックする仕組みにある、というものであった。その発見をアメリカに持ち帰り、いくつかの企業で実践したところ、今度は成果を上げることができた。しかし、それらの工場を見渡してもカンバン自体は存在せず、一見しただけではカンバン方式が採用されているとは解らないという。
模倣は他者の「やり方」を自分のものにすること、学習は他者の「問題」を自分のものにすること−また1つ、大切にしたい教訓が増えたなぁ。
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