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August 31, 2009

何かを諦めざるを得ない時こそ、大切な価値観に気づく

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 私の会社の営業担当に高橋という無類の野球好きがいる。その人から聞いた話がとても印象的だったので、ここにまとめておこうと思う。

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 野球好きの少年であれば誰もが一度はあこがれるプロ野球選手。高橋も例外ではなかった。そんな彼は、20代後半になって当時勤めていた会社を退職した際に、ふと童心に帰ってアメリカに「野球留学」することを決心する。向かったのはフロリダ州のフォートローダーデール。フロリダマーリンズのキャンプが行われていた場所だった。ここには、世界各地のメジャーリーグを目指す人たちだけでなく地元の野球好きも道楽で集まってくる。

 その中に、高橋と同じ日本人がもう一人いた。名前は山下(仮名)。高橋よりも5歳ほど年下だった。

 「高橋さん、僕は随分前からこのキャンプに参加しています。キャッチボールでも何でもお手伝いしますよ。解らないことがあったら遠慮なくおっしゃってくださいね。」

 物の弾みでアメリカにやってきた高橋を、山下は温かく迎えてくれた。

 高橋が山下と打ち解けていろいろと話をするうちに、実は、山下がかつて大学野球で活躍したピッチャーであったことが解った。しかも1年生からエースを務め、周囲からはプロ野球入りが確実と言われたほどの逸材だったらしい。彼が登板する日には、各球団のスカウトがバックネット裏に陣取り、彼のピッチングに熱い視線を送っていたという。

 しかし、2年生の時に山下はひじを怪我してしまう。結局、その後1年間はマウンドに上がることができなかった。

 3年生になった山下を、冷たい現実が待ち受けていた。あれほど頻繁に球場に足を運んでいたスカウト勢がいっせいにいなくなったのだ。山下がひじに不安を抱えていることを考えれば、スカウト勢の判断も致し方ない。だが、山下はこれで自分がプロ野球に進む道を絶たれたことを知った。日本でプロ野球選手になれなくても、アメリカなら…そう思ったのが、このキャンプに参加するきっかけであった。

 アメリカが日本と違うのは、「誰にでもチャンスは与えられる」ということである。試合でベンチ入りする選手は、監督が全て一方的に決めるわけではない。ある程度の人選を行うと、監督は必ず残りの選手に向かってこう言う。「他に試合に出たい奴はいないか?」 我こそはと思う選手はずらりと監督やコーチの前に並ぶ。監督たちは彼らのコンディションを確かめながら、ベンチ入り選手を決めていくのだ。

 ピッチャーも例外ではない。6人ほどベンチ入りさせるピッチャーのうち、監督が自ら決めるのは2番手、3番手ぐらいまでである。残りのピッチャーは先ほどの要領で決められる。

 ある日、高橋と山下がキャッチボールをしていると、その日の試合のメンバー決めが始まった。そして、いつものように監督がこう言った。「他に試合に出たい奴はいないか?」

 高橋も山下も列に並んだ。高橋はメンバーから漏れてしまったが、山下は6番手のピッチャーとしてベンチに入ることになった。だが、6番手となると、よほどのことがない限り出番に恵まれない可能性が大きい。それでも、ベンチに入れることを2人は喜んだ。

 試合は一方的に打ち込まれる展開となり、ピッチャーを次から次へと投入せざるを得ない状況になっていた。結果的に、通常の試合なら登板機会が回ってこないはずの6番手にもチャンスが巡ってきた。最終回、山下の名前がコールされたのである。

 マウンドに向かう直前、山下はスタンドで観戦していた高橋の所に立ち寄り、自分のピッチングを写真に撮ってほしいと頼んだ。アメリカでの野球人生のスタートとしていい記念になると高橋は快諾した。ワンサイドゲームで相手チームが異様な盛り上がりを見せる中、山下はマウンドへと登った。

 山下の球速は120km/hそこそこしか出ない。これでは相手チームの打線に対して火に油を注ぐようなものだと誰もが思った。ところが…。

 バットに当たらない。面白いように、相手チームのバットが空を切る。球威だけに頼っていたこれまでのピッチャーとは違い、山下は変化球を交えた技巧的なピッチングで挑んだ。ひじを怪我したとはいえ、かつてはプロ野球からも注目されたほどの男である。その制球力あるピッチングに、相手チームは完全に翻弄された。これまでの攻撃が嘘であるかのように、打線は山下の前に沈黙した。

 結局、9回を除けば一方的な展開で負け試合となった。高橋は、山下のナイスピッチングを称え、カメラを手渡した。すると、山下は思いがけないことを口にした。

 「実は、今日で野球を辞めようと思っているんです。」

 高橋は返す言葉がなかった。

 「僕の球速はもはやプロで通用するものではありません。それに、試合前に高橋さんとキャッチボールをしましたが、ひじが痛くて思うように投げられる状態ではないのです。だから、1回マウンドに上がったら野球を辞めようと決めていました。いい写真を撮っていただいてありがとうございます。」

 高橋が撮っていた写真は、アメリカでの再スタートではなく、野球人生の最後の記念であったことに絶句した。言葉が出ない高橋に代わって、山下が話を続けた。

 「日本には、自分ほどではないが、怪我をしたというだけでプロへの道を絶たれた有望な選手がたくさんいます。彼らがそのまま選手生命を終えてしまうのは本当にもったいない。でも、アメリカならチャンスがあります。僕は、そういった人たちをアメリカに連れてくるお手伝いをしたいと思っています。」

 高橋は、山下が前向きな希望を語ったことに安堵した。そして、自分よりも年下のこの青年に、最大限の敬意を払わないわけにはいかなかった。
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 山下はひじの怪我のために、日本でもアメリカでもプロとして活躍することはできなかった。だが、その代わりに、日本からアメリカへの野球選手の橋渡しという新たな仕事を発見した。フランクリン・ルーズベルトの妻で人権活動家のエレノア・ルーズベルトは、「あなたの許可なくして、 誰もあなたを傷つけることはできない。」という言葉を残している。何が起こるか解らない人生において、思いもよらない危機は幾度となく訪れるだろう。だが、それをどう捉えるかは、結局のところ自分次第である。

 何かを諦めざるを得ない時は、自分を振り返り、内省に時間をかける好機となる。そのチャンスをうまく活かすことができれば、自分が本当に大切にすべき価値観に気づき、納得のいく新たな第一歩を踏み出すことができるのかもしれない。

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