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   新ブログ 谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士
May 05, 2009

リーダーは別に1人じゃなくたっていい

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「リーダーは1人」という暗黙の前提
 リーダーシップについて語られる時、往々にして「リーダーは1人」という前提で話が進められていることが多いように思う。あるチームや組織が輝かしい成果を上げると、スポットが当たるのはたいてい、最も目立ったパフォーマンスを発揮した人であったり、その組織の長であったりする。だが、「「リーダーシップとは何か?」についてメモ程度に書いてみた」で書いたリーダーシップの定義「個の潜在力を引き出し、組織の未来を切り拓くために必要とされる機能」は、必ずしもリーダーは1人とは限らないことを示唆している。なぜならば、リーダーシップを語る上ではその「機能」が重要なのであって、その機能を果たす人数が問題ではないからだ。

 1人でリーダーシップの機能を発揮したっていいし、複数の人間が機能を発揮したっていい。また、複数の人間がリーダーシップの機能を分担することもあれば、その機能に重なりがあることもあるだろう。そして現実的には、リーダーが全ての機能を1人で背負い込むことは考えにくく、リーダーシップの機能を多かれ少なかれ複数のメンバーで「シェアリング」しているケースの方が圧倒的に多いのではないだろうか?

 そもそも、「リーダーは1人」という考え方は、アメリカ特有のものだと思う。実際、ハーバード・ビジネススクールのD・クイン・ミルズ教授は次のように述べている。
 米国人は、リーダーシップは一個人が発揮するものとして捉える傾向がある。米国にはリーダーが一人いる。大統領だ。会社にはリーダーが一人いる。CEOだ。部門にはマネジャーが一人いる。そのため、複数のリーダーがーいると、物事がなかなか決まらないのではないか、その結果失敗につながるのではないかとの危惧から、疑いの目を向ける。

 しかしだれもがこういう態度をとるわけではない。欧州の人々は合議制のリーダーシップの方を好むことが多い。つまり政府の長や会社のCEOが上層部の一員として協議し、共同で重要な決定に当たるやり方だ。一方日本人はコンセンサスを得て、それに基づいて行動するために、組織の多くの者との協議が済むまではリーダーが決定を下さないことを好む。
(D・クイン・ミルズ著『ハーバード流リーダーシップ「入門」』ファーストプレス社、2006年)
歴史的背景を考慮しようがしまいが、リーダーは別に1人じゃなくたっていい
 アメリカが「1人の強いリーダー」を求めるのは、歴史的な影響もあるのだろう。各国のリーダーシップ像は、その国の文化に根ざしている部分がある。ならば日本の場合はどうなのか?松岡正剛氏は、日本の歴史上のリーダーシップについて次のように語っている。
 日本の場合、歴史的に見てもトップダウンで何かを決めたということはあまりないですね。それに、リーダーシップは常に2つ以上ある。わかりやすいのは天皇家と将軍家。その天皇にも現役天皇と院生をする法皇がいた。村落共同体でも、庄屋と村方三役があって、庄屋は将軍家から任命される公式なリーダーですが村方三役は、誰がリーダーというのでもない、3役がそれぞれ輪番制や交代制などで変わっていく。
(リクルートワークス研究所発行『Works No93 2009.04-05 日本型リーダーシップ進化論』)
 これを読むと、日本ではなおさら、「リーダーは1人」という考え方はそぐわないように思えてならない。

 個人的には、文化的背景の違いを差し引いても、「リーダーシップは1人に限定されるものではなく、複数人が発揮することがあるし、実際にはその方が多い」という考え方を主張したい。「社会神経科学的に見ても上司のやる気は周囲に伝染するらしい」という今年の1月の記事で、他人の行動に影響を与える「ミラー・ニューロン」と「オシレーター」という神経細胞のことを紹介した。
 リーダーとメンバーの脳内作用を語る上で重要な第一のキーワードが「ミラー・ニューロン」である。ミラー・ニューロンはイタリアのジアコーモ・リゾラッティ(Giacomo Rizzolatti)らによって、1996年に発見された新しい神経細胞である。

 この科学者たちは、サルが腕を上げた時だけ活性化する脳細胞を観察していた。ある日、研究所の助手がアイスクリームを食べようとして、腕を持ち上げてアイスクリームを口に近づけたところ、サルのその細胞が反応した。これにより、脳には他者の行動を模倣する、鏡のような神経細胞が散在していることが初めて明らかになった。

 人間の脳細胞の中にミラー・ニューロンがあるという確証は今のところ得られていないようだが、もし人間にもミラー・ニューロンがあるならば重要な意味を持つことになる。なぜならば、リーダーのしぐさから心の動きを察知すると、ミラー・ニューロンの働きにより部下の心の中にもそれと同じ感情が芽生え、同じような行動を取ることを意味するからだ。

 …ミラー・ニューロンは、他者の動きを見て、自分も同じように行動するよう促す脳細胞だが、もっと直接的に他者と同じ行動を取ることを命令する細胞がある。「オシレーター」と呼ばれる脳細胞だ。
 
 オシレーターには、他者の体の動きを見て、そのとおりに体を動かすように指令を出す機能があるため、何人もの動きを調和させることができる。
 この記述を突き詰めて考えていくと、興味深い推測が成り立つ。あるリーダーがメンバーのミラー・ニューロンやオシレーターを刺激すると、そのメンバーはリーダーと同じような行動をとり始める。そしてその「メンバー兼リーダー」の行動がさらに別のメンバーに伝染し、そのメンバーをリーダーのように変身させる。こうして、リーダーの行動は次々とメンバーに伝染し、チームにはリーダーのような行動をとるメンバーが溢れることになる。

 もちろん、メンバーには役割やスキルの差があるため、全員が全く同じリーダーシップを発揮することは難しい。だが、各メンバーが何らかの行動を通じてリーダーシップの機能を実現しようとしているのは確かである。この状態では、もはや特定のメンバーをリーダーと名づけるのはふさわしくない。リーダーシップの機能を各メンバーが「シェアリングしている」という表現の方が適切だ。そして、これは実際に起こっていることだと思う。

 リーダーシップ論の歴史を紐解いていくと、1人の強いリーダーの特性を調べることからスタートしている。この段階では、リーダーという個人のみに焦点が当たっていた。その後、研究が進むにつれて、リーダーとフォロワーの人間関係が注目されるようになった。だが、ここでも依然として前提にあったのは、「リーダーは1人」という考えである。しかし、実態はもっと複雑であり、「1人のリーダー」対「複数のフォロワー」という画一的な関係では語り尽くせないダイナミックな相互作用だと思うのである。
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