※2012年12月1日より新ブログに移行しました。よろしければこちらもご覧ください。
free to write WHATEVER I like
August 27, 2005

「知識」はなぜか敬遠されがちだが、「知識」がなければ仕事はできない

拍手してくれたら嬉しいな⇒
 どうも日本人は「知識」という言葉を敬遠する傾向があるようです。このことは以前にも触れたことがあります(全然関係ないですが、時々昔の文章を読み返してみると、昔はかなり高圧的な態度で文章を書いていたのが解って、ちょっと恥ずかしくなります…)。

 知識を適用するということ(2/2)〜現実に合わせて知識を創造する

 「重要なのは知識ではなく知恵だ」と言う著名人も多いので、知識疎遠現象にますます拍車がかかってしまいます。

 こういう主張の裏には大抵、「知識の大半は何とも難解で、自分には理解できないものばかりだ」「知識の大半は役に立たないものばかりだ」という陰口が見て取れます。

 しかし、こうした知識に対する無責任な批判はあまりにも的外れです。私たちの大半は、必ず毎日何らかの知識を用いて仕事をしています。そして、毎年何らかの新しい知識を習得しているはずです。

 P.F.ドラッカーの次の言葉が、知識労働者の層の厚さを表しています。

 「(事務員や、コンピュータのオペレータは、)少なくとも読み書きという、経験では身につけられない知識を必要とする。彼らの仕事は、肉体労働が中心であって、知識の部分は小さい。しかし、たとえ小さくとも、それらの知識は不可欠である。」

 ドラッカーによれば、アルファベットの読み書きができることも知識であるといいます。ということは、私たちのすべてとはいかなくとも、大部分は知識労働者です。

 かつての肉体労働者は、手足を命令どおりに動かすことだけが求められていました。作業も見よう見真似で覚えました。これに対して、知識労働者は、頭脳に蓄えた知識を用いて仕事をします。そして、知識はいまや組織活動に不可欠な資本となっています。知識労働者は、労働者であると同時に資本家であるのです。

 これは生産関係をめぐる大きな変化です。マルクスはかつて次のように述べました。

 「人間はその生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した関係、生産関係に入る。この生産関係は、彼らの物質的生産力の一定の発展段階に対応する。これらの生産関係の総体は社会の経済的構造を形づくる。」
(カール・マルクス『経済学批判』 確かにマルクスの主張には誤りも多かったが、この記述は正しいものと考えてよい。)

 生産関係の変化は、社会の経済的構造の変化を意味します。資本家たる知識労働者の登場は、根本的な構造変化を意味するのです。「知識より知恵を」と理想郷にいるかのような考えにとらわれるのではなく、現実をもっと捉えなければなりません。

おススメの書籍

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:

コメントする